一人時間の幸せ

 「お前、いつも何してるんだ?」と訊かれるのは、おそらくほとんどの人にとって迷惑極まりない問いかけだ。何をしようと、してなかろうと、その人の勝手なんだから。

 そんなアホなことを訊きたがるのは、じつは訊いた本人が「何もしてないし、何していいか分からないから悩んでる」と自ら宣言してるようなもの。それで相手のことが気になって仕方ないのだ。

 「どうせ暇なんだろう、付き合えよ」とのイヤな誘いには、堂々と「オレは暇を大切にしたいのでムリ」と断ればよい。暇を確保しボンヤリできることは人間にはとても大切なひと時である。

 今現在、私が毎日生活する中、ホッとして気持ちが寛げるのは、夜寝床で眠りに入るまで眼を閉じていろいろ妄想に耽るとき、映画館で場内が暗くなりいよいよ上映が始まるとき、そして午前中熱いブラックコーヒーを飲みバロック音楽を聴きながら窓から外の景色を眺めてるとき…かな。

 人それぞれの寛ぎ方があるだろう、でも一人でいられる時間を確保できるかどうか、やはりそれがとても重要だと思うよ。

 ただ、せっかく一人になれても過去のイヤな思い出にクヨクヨしたり、周囲の人達の目線を気にしたりするのは、今日を、そして明日を生きるためには何の得にもならない。逆に、昔の楽しい出来事に浸ろうとするのもじつは同様である。

 過去や周囲のために自分は生きてるわけじゃない。自分を少しでも向上させ未来のために一人時間を過ごすべき。年取って「昔は良かった」なんて郷愁に耽るとしたら、それはもう生きながら棺桶に片足を入れてる。それを思うだけで、ただでさえ現在の悪い状況が益々悪くなるばかりだ。