住みやすい環境作り

 Amazonで購入した木製のテーブルが予定より早く届き、早速開封して組み立て使い始めたが、これが予想以上の良品。キッチン部屋に設置、そこで食事したり、パソコン机として今後活用するつもりでいる。頑丈そうだし、小物が入る引き出しが付いてるのが気に入った。

 これまでのテーブルはアウトドア用の金属製折りたたみ式で薄っぺら、足も細く不安定、さらに折りたためるため中央の線が出っ張って全体がフラットにならないことが気に入らず、それらの理由で十分活用してきたとは言えない。

 木製のテーブル以外で直近では大気遮断用としてロールカーテンも注文。一階の暖房を二階へ逃さないため階段に取り付けたが、これもスマートでおしゃれでなかなか良かった。

 新品のテーブルとロールカーテンを揃え、これでほぼ室内のレイアウトにケリがついた。今後、Amazonでの購入は滅多にしないだろう。忙しくて長時間労働の配達員さんのことを考えると、Amazonでの買い物はなるべく控えたい。

 ストレス軽減の住居環境を作るため、度々整理整頓に努めてきたが、ようやく落ち着きつつあり、我ながらホッとしている。

 台所、風呂、トイレ、洗面所等の水回りを中心に、収納の仕方や、机と椅子の配置も考慮しつつ、汚れたり古くなった物を処分、買い替えもした。つくづく思うのは、水回り、収納、机と椅子がいかに重要か。生活の核となるそれらを疎かにすると、小さな事でもイライラが蓄積して金と時間を浪費しかねない。

 私は基本的にはミニマリストだが、物を所有しないことがミニマリストではなく、空間をいかに有意義に演出できるか、それがミニマリストの基本だと思っている。

健康、時間、お金

 ストレスは溜めない方がいいに決まってるので、心身の負担はなるべく軽くしたい。ところで、なぜストレスが溜まるかといえば、一番の要因は何かにこだわり気を使い過ぎるからだろう。

 現在、人間が日々生きるにあたり最も重要なのは、健康、お金、そして時間で、順位をつけるなら①健康②時間③お金となり、これらが充実すればストレスはそれほど感じない。しかしこの順位が逆になるとかえってストレスが溜まる。

 健康をまず第一に考えなくてはならないのは当然として、時間と金に関しては断然時間を優先すべきだ。いくら金持ちになっても時間を失う人生なんて虚しいにも程があり、お金にこだわるとストレスが蓄積されてゆく。

 ところで、じつはお金のない貧乏人ほど時間も失っているらしく、お金がないこと自体を悩んだり、ちっぽけな事でクヨクヨしたり、片付けが出来ずに小物の収納が乱雑で使用する際に探し回ったり、それで大切な時間を無駄に浪費して年老いてゆく。

 もったいないと思う。じつは、気になることの大半はちょっとした事で解決できる。身の回りを整理整頓するだけでストレスはかなり軽減されるので、だから簡単にできることは先に延ばさない方が賢明である。残念ながら時間は止まってくれない。

 さて、人間にとって一番大切な健康について。その三大要素は、食事、運動、そして睡眠だが、中でも睡眠の比重は大きく、熟睡するため朝に日光を浴びて体をリセットすることが肝心、と主張する専門家は多い。確かにそうだろうなぁと思う。

 しかし、上の主張はあまりに偏っている。なぜなら、東京を中心とした太平洋側で暮らす人々に焦点を当て、冬の期間日光が差さない日本海側の住民を無視しているからだ。日光をほとんど浴びることができない人々のための熟睡方法も是非伝授していただきたい。

 寒くなると日光浴でホッとするが、金沢なんかに住んでると残念ながら冬の期間その機会は少なくなる。北陸や山陰、そして東北や北海道の日本海側は、雨かアラレか雪が降り、どんよりした空の期間がこれから春先まで続くのだ。

支配する側とされる側

 世界は複雑に絡み合い、だからこそ多様性に富み、豊かな文化が育まれ、歴史は彩られ、これは本当に素晴らしいこと。一方で、国や地域、人種や民族、習慣や宗教の違いから、人々は争いに巻き込まれ、悲劇が繰り返されるように見える。だが、問題の本質は複雑な多様性が原因ではない。

 問題は、国や民族や宗教というそれぞれが違うだけの横の関係にあるのではなく、あくまで支配する側とされる側という縦の構造にこそある。すなわち、強者と弱者の対立だ。

 ロシアはウクライナを侵略して支配下に置こうとしたが、それに対しウクライナは抵抗、そこで戦争状態に陥った。一方、パレスチナでの戦争は、パレスチナの地に入植したイスラエルがその一帯を支配しようとし、パレスチナ人から抵抗を受けているという構図だ。

 歴史を探れば様々な思惑が交錯し、安易に善悪は決めつけられないはずだが、世論の多くが国や地域や民族や宗教の比較で解説したがり、本当にそれでいいのかと思ってしまう。それらにこだわると判断を間違える。あくまで支配する側とされる側とで見極めたい。

 ウクライナ戦争とパレスチナ戦争では、ロシアとイスラエルの強硬な権力に対し例えロシア人であろうとイスラエル人であろうと、支配される側の市民であるなら世界中の弱者と連帯し、支配したがる権力には反対の声を上げるべきだ。

 ウクライナ戦争では侵略される側のウクライナの大統領ゼレンスキーは、パレスチナ戦争ではなぜか大量虐殺するイスラエル側に立とうとしている。本当はゼレンスキーは殺される側のパレスチナのガザに生きる人々と連帯すべきと思うが、そうしないのは実は彼がユダヤ人だからで、さらにパレスチナのガザを実効支配するハマスをロシアが支援してるからだろう。

 ロシアが憎いあまりゼレンスキーはパレスチナとロシアを同一視してるのかもしれないが、そんな構図を見てつくづく思うのは、国や地域や民族や宗教にこだわってはいけないということ。繰り返すが、支配する側とされる側とで見ないと判断を誤る。

 いつの時代でも支配したがる権力者は弱者を洗脳し、国や民族や宗教の違いを煽り、敵と味方に分断させて弱者同士を戦わせたがる。国境や民族や宗教を超え、弱者同士は洗脳を解き世界中で連帯すべきである。私とあなたは同じ地球人であることを自覚しよう。

 

気持ち悪い不自然

 11月がスタート、今年も後2ヶ月。それにしても暖かい、秋晴れはありがたいが、なんだか気持ち悪い。三連休の天気は好天に恵まれ、全国各地で25℃を超える夏日。金沢も最高気温が28℃近くまで上昇したが、30℃以上を記録した場所もあるというから驚く。

 Tシャツ一枚で済みそうな日中の暖かさ。まさか11月に夏に逆戻りとは思わなかった。この時期、こんなに暖かい、というか暑いのはこれまで初めての経験、つくづく異常気象を実感している。

 それでも、窓から見える南天の樹の実がいつの間にか赤くなり、まだ熟していないが、かなり美味しそうになった。野鳥が飛来し啄む姿を今年も是非見たい。何年か前にレンジャクを見た時は驚いたが、去年は見かけなかった。また遭遇出来たら嬉しい。街中を歩きながら、ふと見上げるといろんな鳥を発見できて面白い。

 家の周囲に緑があることはとても良いこと。草ぼうぼうは困るけど、じつは見栄えがあまりにキレイなのも妙な感じがして、雑草がある程度生えてる方が安心する。やや不揃いが一番いいのだ。

 さて、テレビを処分後、替わりにネットで情報を得ることが多くなったが、ネットでもいつの間にかコマーシャルが大量に流れ、突然番組を寸断し、時間も長くなってきている。

 そのコマーシャルに登場する年相応のタレントさんたちだが、CGだか生成AI だか知らないが、それらであまりにキレイに加工された顔を見ると、シミやホクロが一つもなくスベスベの肌であまりに不自然。

 人間なのにマネキンにしか見えなかったとしたら逆効果、かえって気持ち悪い。スキンケアは大切だが、変に若作りして厚化粧したり度が過ぎたメークアップはしない方がいい。堂々とスッピンで勝負したらいかがか。

 見栄えを良くしたい気持ちは分からぬではないが、加工のやり過ぎや手入れのし過ぎはかえって不自然で違和感を抱く。人間に関して言えば、美しく見えるか見えないかは座っても立っても、そして歩いても、あくまで「姿勢」にあることを忘れないでほしい。

映画「福田村事件」を観た

 今話題の映画、森達也監督の「福田村事件」を金沢市街地のミニシアター・シネモンドで鑑賞した。一日の上映回数は一回のみ(上映期間は3週間)、開始は10時30分という一番早い時間帯で、普段午前中に映画は観ない私だが、クラウドファンディングで一万円寄付もしたので、この作品はどうしても観たかった。

 期待通りの出来栄え、いかにも森達也監督らしい。100年前の関東大震災直後に千葉で起きた凄惨な事件(日本人の自警団が自分たちと同じ日本人9~10人を朝鮮人だと思い込み虐殺した)がテーマだが、当時と100年後の現在の状況は、じつは本質的にほとんど変わっていないことが分かる。

 演じる俳優さんたちの役割が非常に明快で、現実社会を生きる中、その立ち位置から自分の行動をつい想像してしまう。これは、予期せぬことが起きたとき、自分ならどうするか、ひしひしと身に迫りつつ問いかけてくる映画である。

 大地震の描写の物足りなさ、震災前と後の情景にほとんど変化がない、村の女性たちの都会風で現代的な容姿や振る舞い…など気になるところはある。しかし、この手の作品は今の日本映画には絶対に必要、これまで多くの社会的事件や事故がほとんど制作されなかったことこそが問題だ。

 「福田村事件」は全国で大ヒットしている。ミニシアター系が中心とはいえ、既に動員は15万人以上、収益は2億円を突破したらしい。上映が終了した場所もあるが、これから上映予定の地域もたくさんあるので、動員数と収益はさらに伸びるのは間違いない。

 動員100万人は難しいとしても、50万人は超えて欲しい。それが実現したら収益は少なくとも6~7億円に達するだろう。これで制作費は十二分に回収できるのは勿論、新たな作品制作のため資金を回すことができるはずだ。

 日本にも注目すべき題材がいっぱいあるにもかかわらず、映画会社は権力に忖度しタブーに目を瞑り、制作を怠ってきた。「福田村事件」が日本映画界の閉塞し淀んだ空気を打破する契機になって欲しい、と願わずにはいられない。

 いつもガラガラのシネモンドが午前中の上映にも関わらず満員の盛況だった。それだけ日本近代史の隠された闇に関心が高い証拠で、いつの時代でも常識ある人々は良質な真の情報に飢えているのだと確信した。

保険と軍備

 私と同様多くの人が国民健康保険以外にも、民間の保険にいくつか加入しているに違いない。なぜ保険に頼るかと言えば、万が一に備えてのこと。どんなに健康に自信があろうと、年を取るに従い、いつかケガや病気になる自分を想像して不安になるからだ。

 軍備は保険と似ているところがあり、軍事費も国(国民)を守る名目のため、万が一に備えようとする。いずれ戦争が始まることを前提にしているかのように軍備はどんどん増強されてゆく。

 しかし、よくよく考えれば、ケガや病気や戦争を前提に多額のお金を費やすことは何だか変である。なるべくケガや病気をしないように気をつけることがより大切だし、戦争が起きないようにいろいろ工夫することの方が、当然ながらより重要だからだ。

 保険と軍備はお金を遣うという意味では似ているが、とはいえやはり全然違う。一応保険は自分の身体を守りたいから渋々加入するが、一方軍備は防衛を口にしながら他者の命を脅かし威嚇することが目的で増強に果てがない。

 いずれにせよ、保険や軍備に多額のお金は遣わない方が賢明である。健康維持・増進のためにお金を遣う方が有意義だし、軍備にお金などまったく必要なく、人を殺傷する武器への投資ほど無駄で無益な試みはない。

 さて、今日は朝から快晴、絶好の洗濯日和だった。ウクライナパレスチナ、さらにミャンマー、世界各地で紛争や内戦、クーデターが繰り返される現状で、空模様を気にしながら洗濯物を干せる自分はなんて幸せ者か。

 どんな人にも空を眺める日常がある。天候に一喜一憂するけど、空を眺めるひと時は日常で重要な部分を占めるだろう。陽が照り、雨や雪が降る、それら自然の恵みのありがたさ。砲弾が降ってくる空など誰が望むか。どうか、戦場に一日も早い安心と安定を、平和構築にこそ資金を。

暗澹たる気持ち

 人類はこれまで数々の発明品を産み出してきたが、中でも影響力が大きい最たるモノは「金(カネ)」と「神」だ。この両者は人類に幸せを与えるより、むしろいつの時代でも不幸を撒き散らしてきた。金(カネ)と神は常に結託し、人々を支配しようとする。

 今の時代にカネは人々が生きるため最小限必要かもしれないが、しかし神はこの世から消え去っても人々は全然困らない。なぜ断定できるかというと、初めから神など存在しないから。

 人知を超えた神など存在しないので、自分たちに都合の良い神を勝手に創造、それに惑わされる人々が大勢いて、次から次へと悲劇が再生産される。世界で最も不幸な出来事の一つは「作りモノの神」同士の争いだ。

 イスラエルイスラム組織ハマスが事実上戦争状態に。ただし、これはユダヤ教イスラム教の戦いではなく、侵略者とそれに抵抗する勢力との戦いであり、ハマスの行為は容認できないが、長い目で見るなら非は明らかにイスラエルにある。

 パレスチナ人が封じ込められてるガザ地区イスラエルが「完全封鎖」し、電気や食料、燃料を遮断するという。ガザで生きる一般のパレスチナ人に逃げ道はなく、より悲惨な事態が今後予想される。

 ロシアがウクライナに侵略して始まった戦争だけでもウンザリなのに、世界の火薬庫中東のパレスチナの地でまたまた危険な炎が燃え上がった。世界は益々分断されそうで、地球人の一人として暗澹たる気持ちになる。

 ウクライナ戦争はいつまで続くんだろうか。パレスチナの地にいつ平和が訪れるんだろうか。気候変動で生態系はどうなってしまうんだろうか。激動する世界情勢は人類をどこへ導こうとしているのか。

 今、日本という地域では直接紛争に巻き込まれていないから表向き平穏だが、原発、旧統一教会、ジャニーズ、物価上昇、少子高齢化、人手不足…多くの問題が山積し、政治があまりにデタラメなので明日どうなるのか不安だけが増す。一方向へ回転し始めた歯車を止めることはなかなかできないが、しかし悪い流れに身を任せたくない。自分を見失わないことが肝心。

 個人として私が今できることは一体なんだろう。とりあえず冬の準備をする、住居環境を整える、健康に気をつける…それらで精一杯の私。ただ、いつも自分に言い聞かせるのは「社会に絶望しても、自分には絶望しない」。