もっともっと夢を見たい

 「夢」ついて非常に多くのことが語られる。夢を抱くこと、夢に向かうこと、夢は実現する…等々、特に芸能人やスポーツ選手がよく口にしたがる。だが、今ここで私が述べたいのは巷で語られる成功を目指す夢とは違い、眠ったときに体験する誰もが見る夢のこと。

 生活者として私の生き甲斐は、眠りに入り夢を見ること。今夜どんな夢を見られるかと毎日が楽しみだ。

 普通に眠ったなら、人はかならず夢を見るという。夢を見ないで熟睡できたというのは、じつは嘘で、よほどの疲れから記憶に残らないだけらしい。私など熟睡できることは滅多になく、次々とあまりにたくさんの夢を見るので逆に混沌として、一体どんな夢を見たのか整理が付かないこともある。

 官能的な夢を見たいのに、歳のせいか最近その手の夢はサッパリ見ない。じつは昔から今日に至るまでしょっちゅう見るのはイヤ〜な夢ばかり。ウキウキしたウレシイ夢など滅多に見ない。ほとんどが、恥をかいたり、辛かったり、自分の思う通りにいかなかったことなど、それらが混在し妙な形となり夢に現れる。

 帰郷する直前まで、東京の新宿歌舞伎町で丸10年以上BARを経営していたのだが、その期間の夢を見ることは全くない。なぜなら面白かったから。その代わり、遥か昔、会社員時代の夢を今になっても見ることがある。それは例えば、嫌いな仕事なのに会社を辞めたくてもなかなか辞められずに右往左往する意気地のない自分の夢である。夢から覚めたとき、もうとっくに会社員ではないことに安堵するのだ。

 夢を見るのが生き甲斐なんて現実逃避かもしれない。しかも見る夢はかつてのイヤ〜な出来事がデフォルメされものばかりなのに楽しいとはどういうことか。

 鮮明な夢を見た後は眠った気がまったくせず、非常に不快であるにもかかわらずそれでも楽しい。夢と現実が混在し訳が分からなくなったならどんなに面白いか…いやいや、やはり違った方がいいに決まってる。なぜなら、現実世界と異次元が味わえて人生により深みが増すだろうから。