国際秩序を堅持?

 5月下旬に広島で開催されるG7サミットに先立ち、今月18日にG7の外相会合が長野県軽井沢で開かれた。共同声明は主に、国際秩序を堅持するため、ロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権主義を憂うという内容だったらしい。

 ロシアや中国の現状を批判的に見る姿勢には同意できても、だからと言って「国際秩序を堅持」とはどういう意味か。先端技術の進歩や国際人権意識の広がりで情況が大きく変貌しつつある中、従来通りG7の主要先進国が世界を支配し続けたい、結局それが本音なら噴飯ものだ。

 毎年一回持ち回りでG7のトップが集うサミットなんて、議題はいろいろ盛りだくさんのように見せかけて、じつはG7の国々が今後も世界のトップに居座るための合意をするだけ、まさに談合じゃないか。

 ロシアや中国の立場からすれば、いつまでもG7にのさばらせたくないのは当然で、その対抗手段として軍備増強に予算を費やし、核兵器をチラつかせる。「国際秩序」が資本主義先進国で世界を支配するという意味なら、欧米や日本に対抗する諸国も力を誇示したがり、世界は益々危うくなるばかりだ。

 人間世界でも同じことが言える、70や80の歳にもなれば、もう表に出る幕じゃないと思う。社会は40代、50代を中心に、20、30の若い世代を支えなければ。爺さんや婆さんが事ある度に口を挟むのは発展を阻害するだけである。

 高齢者は一歩退く、と言っても陰で操るならむしろ迷惑だし、助言するのもいいが、上から指図するように見られると益々嫌われる。第三者的な目線で静かに見守る姿勢を保ちたいが、政治の世界を見れば分かる通り、年寄りがあまりに威張ってばかりの現状は老害そのもの。これは政治だけじゃなく、各業界にもソックリ当てはまる。

 G7を中心に回る世界は危うく、国際連合が中心になるべきだ。アフリカやアジアや中年米の民主主義を目指す新興国こそがこれからの世界の核になるべきで、国連はそれを演出しなければならない。「我こそは民主主義の見本」とG7の国々が自負を抱くのであれば、脇役に徹する度量を示して欲しい。