組織より個人を優先するべき

 地球に生きる人間の一人ひとりが、自由で平等で、平和で安全で安心に生活できる。そのためには国家や党が、会社や家庭のありようが、時代と共にどんどん変化してゆくのは当然の成り行きである。組織や団体を守るために個人が犠牲になってはいけないし、ましてや国家や企業のために人間の命が失われてはならない。

 こんな当たり前のことを書かずにいられなくなったのは、最近日本共産党が党員の松竹伸幸氏を除名扱いした件が話題になったからだ。時々、日本共産党は党の規約や規律に違反したとして「反党分子」と決めつけ、個人としての党員を除名処分にすることがあるが、その度に私はこの党に対して疑問を抱く。野党として一番まともだと思うから一つでも議席が増えて欲しいと選挙で応援することは多いのだが…。

 日本共産党もずいぶん変貌してきたことは確かだ。ところが「民主集中制」だけは不変のようで、なぜ民主に集中を付けるのか私にはさっぱり分からない。これはまさに党を守るための手段で個人を尊重する方策とは思えない。日本共産党は結局は一人ひとりの個人としての党員より、党組織そのものを優先しているように見える。

 自民党なんて単なる利権で繋がる集団で、ほとんど損得でしか物事を判断しないダメ政党だ。対して日本共産党は強固たる思想を土台に、「正しい理論」で武装する政党である。

 勿論、その「正しい理論」は党員には求められても、一般大衆に押し付けるようなことはしないだろう。個人の人権や表現・報道の自由は完全に保障すると声高に訴えてもいる。だが、もし政権を担うほどの大政党になれば政治をリードしつつ社会全体の浄化を目指すのではないか。

 だから、いくら「民主集中制」のような方式が党員だけに適用されるとしても、日本共産党が政権を担ったときの社会が醸し出す雰囲気がどうなるかが問われる。何事も「清く、正しく、美しく」振る舞わなければならないとしたら、想像するだけで息苦しく、冗談も気軽に言えなくなるかもしれず、日本人の大多数が共産党員になることを目指すような方針はくれぐれも、いや絶対に執ってはならない。

 現在の日本において、国家主義を批判し、政府を鋭く厳しく追求する日本共産党の役割はとても重要だ。一方で自分たちが少しでも批判されるとすぐにムキになり反論したがり、どうも余裕が感じられない。日本共産党にはユーモアとウィットが欠落している。このままではいつまで経ってもせいぜい支持率3%前後で推移するだけの政党で終わる。