社会変革の原動力

 この不公平で理不尽な社会を批判すると、必ずと言っていいほど「それで社会が変わるのか」と周りから詰問される。確かにたった一人の人間が社会を批判したところで社会が変わるはずはなく、一人の人間の力など全体に対しては無力にも等しい。

 だが、社会を変えられなくても自分を変えることはできる。肝心なことは、まず自分を変えること。自分が停滞していては一方的に社会に飲み込まれてしまう。批評性を内在しない不満や愚痴を口にするばかりでは、人はひたすら堕落の坂を転がり落ちるだけだ。

 社会が自分を変えてくれると思ったら大間違い。常に自分が社会を変えるくらいの気持ちを抱きつづけないと。もし、社会が自分を変えるとしたら、それは悪い方へ、ひたすら自分を奴隷化させるという意味で変えるのであり、社会に期待して結局絶望するしかない。

 優れた社会批判は自分にも跳ね返ってくるからこそ、自分を変える力となり未来に向かって前進できる。一人の人間の力など社会に対して無力にも等しいかもしれないが、自分を変えようとする人々が集まる社会は、必ず大きなうねりとなり社会を変える原動力となる。

 たとえ個人が社会の変革に無力であろうと、その個人が常日頃から考え行動し、自己変革を目指すなら、じつはそんな個人こそを権威主義的な為政者は恐れるのである。

 たった一人の人間がどんなに力をつけても、その人間の影響力はたかが知れて全体に及ぶことはない。けれど、一人ひとりの人間が力をつけるなら影響力は計り知れず、為政者は大多数の人々の自由と平等を最も恐れる。限定された人々の自由と平等なら許容の範囲、為政者が権力の座を奪われることはまずないからだ。

 多くの人々が日々ギリギリに働けてなんとか食べることができる環境、それこそが為政者が望む安定した社会に他ならない。ずる賢い為政者は多くの人々になるべく余裕を与えないことを企み、日々そのための施策を練っている。