浮かれてばかりでいいのか

 五輪を凌ぐ世界最大の祭典と言われるサッカーワールドカップ。それが11月20日(日)から中東カタールで開催されているが、決勝の来月18日までの約1ヶ月間、サッカーファンを中心に世界中が浮かれた気分になる。

 日頃からの鬱積した気分を晴らすため、お祭りに酔いたくなる庶民の心情も分からぬではないが、スポーツイベントが盛り上がれば上がるほど、世界における貧困、差別、格差の実態が隠蔽されるような気がしてしょうがない。

 正直、サッカーにあまり興味のない私にはどうでもいいが、ただ試合の陰に隠れて重要な報道が減少するとしたら大問題。スポーツという表向きキレイ事の裏では、汚い金が右から左、左から右へと渡ってるのは誰もが想像でき、巨大組織になり過ぎたIOCFIFAも全く信用ならない。

 それはさておき、サッカーがなぜ世界中で人気があり、ワールドカップを頂点として各選手権で盛り上がるのか。その一番の理由は、足技でスピーディだが簡単に得点できず、試合時間中は常にハラハラドキドキ、そしてイライラするからだ。

 もしサッカーが20対15のような点の取り合いになれば、まったく違う状況が形作られ人気もそれほど出なかったろうと思う。そして、サッカーの戦術や戦略が複雑になるのは、何と言ってもオフサイドのルールが確立され、それで好き勝手を許さないからではないか。

 サッカーに関して素人の私だから詳しくは分からないが、オフサイドのルールが今日までサッカーを発展させたことは間違いない。23日(水)の日本対ドイツの試合は逆転の展開で久しぶりに面白かった。

 何が起きるか分からないのがスポーツの醍醐味、しかしマスコミは明らかに騒ぎ過ぎだ。サッカーというワールドスポーツを通して、試合経過や予測だけでなく、人々の自由と平等の理念の元、人権や差別、国家や地域の格差の問題も関連付け、もっと掘り下げた報道をすべきであり、多くの人々がそれを願っている。