生き方が問われる

 アフガニスタンで医療や灌漑を中心に活躍されていた中村哲氏。その中村哲氏が銃弾に倒れ死亡したのは本当に残念だった。中村哲氏は国境や人種や民族や宗教の境界線や壁を乗り越え、ひとりの人間として同じ他の人々、特に貧困に喘ぐ人々の為、自らの命を賭け生涯を全うした稀有な人物だった。

 誰もが中村哲氏のように実践できないが、しかし中村氏と同様な気持ちを心に抱くことは誰もができるだろう。紛争区域や危険地帯には簡単に出かけられないし、専門技術を身に付けるのも大変だが、中村氏の気持ちを少しでも共有することで、今現在の自分の生活圏から状況を変革することは十分可能である。

 つくづく国や人種や民族や宗教には拘りたくない、と思う。それらの狭い領域を中心に据えた思考や行動様式は対立構造を生むだけ。地球人という広い視野、そしてひとりの個人としての視点、この両面から様々な物事や世間の情勢を判断したい。

 為政者、特に支配者は国や人種や民族や宗教の違いを持ち出し、それらを対立構造にすり替え、自らの安泰を図ろうとする。強者は支配構造を守るため、弱者同士の対立を煽り戦わせたがるのである。このことは何度でも繰り返し訴えよう、私たちは騙されてはいけない。

 中村哲氏を殺害したのは国や人種や民族や宗教に拘るあまり、他者性を喪失した輩の仕業である。現存する多くの国や人種や民族や宗教の違いを認め合うことは対等な関係を維持するうえでとても大切な姿勢だが、それとは反対に、違うことを嫌い、異なる世界に目を背け避けようとすることで、互いの間に大きな溝ができてしまう。

 国民栄誉賞はスポーツや芸能関係の人達ばかりに与えられ、時の政権の人気取りのため常に利用されるが、賞の是非とは別に、中村哲氏のような人こそが真の意味で「国民栄誉賞」に値する。中村哲さんや高藤菜穂子さんのような人達がそれを受賞できる環境になってこそ、日本の民度はかなり向上した証明になるだろう。

 事ある度に嘘を吐きつづけ、逃げ回ってばかりいる安倍晋三という総理大臣。そんな人物が長くトップに居座り統治される私たち日本国民は、今現在問われているのである。亡くなったが中村哲氏は無言で私たちに問いかける「あなたはどんな生き方をしますか」。