セックス、介護、引きこもり

 「セックス」や「介護」、そして「引きこもり」、それらの領域が抱える問題はそれぞれ固有に見えるかもしれないが、じつは問題の根本に共通の要素が横たわる。それは強者と弱者の関係である。

 つまり対等な人間関係が築けない状況下において、セックスも、介護も、引きこもりも、内在する問題は解決するどころか、こじれて深刻化するばかりとなる。男性と女性、介護する側とされる側、面倒を見る親と引きこもる子供、それらの関係に強者と弱者が成立して固定化すると、不幸な状況はいつまでも続く。

 男性が力を誇示したくて女性を従わせようとする。そんな男女間で営われるセックスは本当のセックスではない。それは下手すれば、暴力、レイプ、犯罪へと繋がりかねない。

 介護の現場で、介護する側が思う通りにならないからと、介護される人たちに対してイラついたり手を出すようなことがあれば、それは介護ではなく単なるイジメや暴力だろう。

 引きこもりを抱える家庭で、世話する親が引きこもる子供に対し、「さっさと働きに出ろ」と口に出し、無理やり部屋から追い出そうとすれば、子供は心を閉ざし、益々自分だけの世界へ引きこもるに違いない。

 どんな仕事に携わろうと、どんな状況に置かれようと、人間同士は対等な関係を築き維持しようと努めるべきだ。例えば、会社内で社長と平社員とでは地位が違うのは当然とはいえ、社会的立ち位置は人間そのものの強弱を証明しない。

 男性と女性、大人と子供、健常者と障害者、それらは主に外見的な違いに過ぎず、一方が強者でもう一方が弱者を示すわけでは全くない。会社の社長は社内で決定権を持ち、社員はその方針に則り仕事に携わるわけだが、社長は人間として強く、社員が人間として弱いわけでは決してない。