幻想を取っ払う

 私が大好きな女性の俳優に米国のキャサリン・ヘップバーン(1907〜2003)がいた。彼女は知的でユーモアがあり、自分の意見を堂々と主張し行動し、おしとやかで良妻賢母的な雰囲気は皆無。それらが私には非常に魅力的で、いわゆるキャサリン・ヘップバーンは強くて逞しい女性の代表だった。

 同じヘップバーンでも日本ではオードリー・ヘプバーンが相変わらず圧倒的人気で、男性からはもちろんのこと、女性の多くからも支持されている。日本人には、女性は顔や仕草や雰囲気が「かわいい」ことが何といっても第一条件らしい。かわいらしさには子供っぽさが付き纏うので私の趣味ではない。

 ところで、キャサリン・ヘップバーンは自分が強かっただけに、相手の男性にも同等の強さを求めたという。キャサリン・ヘプバーンは軟弱な男性が嫌いだった。そういう意味では、20世紀を生き抜いた彼女の生き方も強者崇拝、あくまで20世紀的だったようだ。

 21世紀に入り随分経つにもかかわらず、「男女同権・平等」の言葉だけが一人歩きして実態は伴わない。現実との乖離を少しでも埋めるため、今日の女性は過去の祭り上げられた男性像など模倣せずに、これからはキャサリンの姿勢を踏まえつつ、さらに彼女を超える新しい女性像・人間像を創り上げていってほしい。

 あたり前だが、女性問題とは、裏返された男性問題のこと。女らしさや男らしさに捉われることなく、弱さも脆さも内包した人間らしさを表出させ、多様な個性が共存できる社会を人々は築き上げるべきだ。

 それにしても米国、ロシア、中国、イスラエル…そして日本。強さばかり誇示したがる国家の有り様は相変わらずで、時代遅れもはなはだしい。強がりたがるのは虚勢で弱さの裏返し、まずは個人から幻想を取っ払いたい。