現実はシュール

 新型コロナウイルスが世界を覆う中、桜が開花した日本では各地で花見を楽しむ人々がいて、一方、ウクライナでは戦火で街は破壊され苦しむ人々がいて、これが同時進行する世界に生きてると、つくづくシュールだなと思ってしまう。

 ミャンマーで軍事クーデターが起こり罪なき人々が拘束され、エチオピアやイエメンの内戦は泥沼化し飢餓が蔓延り…その一方で、利権を貪り贅沢三昧する輩、ゲームやスポーツばかりに夢中なってる輩、政治経済には全く無関心な輩…本当につくづく世界はシュールだ。

 シュールレアリズムは20世紀前半に起こった芸術運動。これまでの世界の有り様を新たに捉え直し、じつはシュールこそが現実、現実こそがシュール、シュールレアリズムこそが真のレアリズムというふうに私は解釈する。

 混沌とした世界、秩序らしきものは保たれてるように見えるが、誰かが細い一本の糸屑を引き抜くだけで、折り重なった薄っぺらな実像に見えた繊維の束はバラバラに、頑丈な足場らしきものは幻想で脆くも崩壊、私たちは底無しの世界へ落ちてゆく。

 今や世界中の眼が注がれるウクライナ戦争。しかし解決の道は八方塞がり益々混迷、長期化が懸念される。その理由の一つとしてロシア軍が統制されていないとの指摘があり、ロシアのプーチン大統領はかなり焦っているらしい。

 さらにプーチンの背後にはかつての怪僧ラスプーチンのような、それはロシア正教会に君臨するキリルという名の総主教が、強大なロシアを夢見るプーチンと意気投合、いやむしろプーチンを洗脳してるとの噂もある。

 ロシア国内では「Z」の旗を掲げ、米国のQアノン信者のような勢力が侵略を正当化、救いようがない。そして、政治でも文化でも何でも同じ色に染めたがる連中は日本を含めどこにでもいる。まったく大嫌いな連中だ。

 さて、何が一番幸せというか楽かといえば、疲れた身体を重力に逆らわず横たえ、暖かい布団に包まりながら両目を閉じ、自由に妄想の世界を描きつつ、やがて深い眠りに入ること。現実から逃避、死ぬまでシュールな夢の世界に浸っていたいと切望したくなる今春である。