死ぬ前にしておきたいこと

 「死にたい…」だけど一人で死ぬのはイヤ、だから他人を巻き添えに。最近どうもこんな形で事件が頻発してるような気がする。自殺願望は誰にでもあるし、巻き添えも新しい形ではないだろうけど、マスコミが大きく報道するからやけに目立つ。

 ひと昔前には自殺志願者が仲間を募り、見知らぬ者同士、車内など狭い空間を密閉しての練炭自殺が流行り、それをワイドショーなど大きく取り上げ世間の話題になっていたが、今も至る所でそれは繰り返されてるようだ。

 根底にあるのは「寂しさ」「孤独」だろうか。言葉を変えれば我儘な「依存願望」かもしれない。埼玉県ふじみ野市の立てこもり事件は、「母親が死に、この先いいことがないと思った。自殺しようと思ったが、自分一人でなく先生やクリニックの人も殺そうと考えた」と供述。犯人は典型的なマザコンみたいだ。

 母親の死で直近の依存が断ち切られ、絶望した息子は瞬時に依存の対象が掛かりつけの医者へと転化、良くも悪くも世話になった医者を殺し自分も死のうとしたのか。殺された方はたまったものではない。死にたいなら「さっさと一人で死ね」とは第三者・部外者の勝手な言い分、死にたい当事者は不満を抱けば抱くほど依存は断ち切れない。

 人はいつか必ず死を迎えるが、どんな死に方が相応しいか私はときどき考える。事件を起こして死にたいなんて勿論思わないし、事故や災害に巻き込まれるのも当然ながらイヤである。大多数の人々と同様、病気か、身体が衰えて身動きできなくなり、ベッドか布団の中での死。

 楽して気持ち良く死にたいが、それは無理。大なり小なり痛みと苦しみは付いて回る。どんな死に方をするか分からないが、ただ、死ぬ前にやっておきたいことがあり、それは家の掃除。日々こまめに掃除して各部屋をキレイにしておきたい。

 元気なうちにほとんどの物品を処分、見た目がサッパリした部屋でいつ死んでもいい状態にしておく。身体の自由が効かなくなり掃除ができずに埃が溜まるのは仕方ないが、それでも物がないのはスッキリしてる。ただ、最後の最後まで裏切られるのが人生、自分の思った通りにはいかないだろう。