心の奥底に潜む感情

 ひきこもり傾向の人が連続殺傷事件を起こしたり、逆に家庭内暴力を振るうひきこもりの息子を父親が殺したり、そして高齢ドライバーが暴走して歩道の人々を轢き殺したり、さらに、介護施設で腹を立てた介護職員が要介護者を殺したり…と、近頃、悲惨な事件を目にすることが多いが、それらの報道から今現在社会が抱えている問題がハッキリ見える。

 ひきこもりと高齢世代の増加は、今後の日本社会をちょっと想像するだけでとても暗い影を落とす。財政問題とも絡み、本当にこの先どうなるのか。

 ところで連続殺傷を起こした犯人が直後に自殺、そのような事件が時々発生する度、「なぜ一人で自殺しないのか」と非難の声が挙がるが、第三者の立場から冷静に分析するなら、その犯人は一人で自殺する道は選ばなかったことが分かる。

 私もつい「さっさと一人で死ね…」と口にしがちだが、それは表面的で薄っぺら、じつに恥ずかしい浅はかな意見だ。同じ事件を繰り返さないためにも犯人の心の深層にメスを入れなければ。犯人だけじゃなく私自身の心の奥底にもメスを入れなければ…。

 どんな人も「負の感情」を抱えている。そんな感情を何とかして軽減、少しでもプラスマイナスゼロにしたいと思うのは自然だろう。何かを失敗して負け犬の烙印を押される人は多いが、その中でも特に感性の敏感な人は、心の奥底に復讐の感情を煮えたぎらせたりもする。そして、その感情が爆発したとき最も悪い結果を招く場合がある。

 不幸だと思い込んでしまった本人は「なぜ自分だけが…」と落ち込み、だから誰かを巻き添えにして不幸の平等化を図りたがるのだが、しかしこれこそ悲劇を産む要因、不幸の連鎖。そんな悪循環を断ち切るためにも、「一人で死ね」などと安易に発言することは慎むべきだ。

 ではどうすればいいのか。「孤立させないこと」「自分だけではない」との共有感をどこかに見つけること、見つけられるような環境を周囲が作ること。とても難しい問題だが、物理的な側面からだけでなく、内面的にもそれが自覚できるなら、たとえ孤独であっても、孤立してないことを知ることで連帯感が必ず生まれる。