私はめんどうくさがり屋で

 私はめんどうくさがり屋で、なによりなまけ者だ。何もしたくないんだ。
 着るのもいやだし、フロにも入りたくないし、飯も食いたくない。
 いつも裸で寝ころがっていたいんだ。ただそれだけなんだ。

 見たくないし、聞きたくないし、触りたくもない。
 息もしたくない、心藏も動かすのはいやだ。
 考えたくない、感じたくない。だからといって死にたくもない。

 変身願望はある。だが変身するのもめんどうくさい。

 こんな気持、おそらく私だけじゃないだろう。どんな人の心の奥底にも潜んでいるんじゃないかな。

 「人生は生きるに値するかしないか?」が人間にとっての究極問題…とがなんとか語った、確か外国の小説家がいた気がするが、「人生には価値があるに決まってる」と声高に訴えるような人生は相当軽いことは確かだろう。ひょっとして、人生は無意味なのかもしれない。素晴らしい人生を思い描くより、アホらしい人生を土台にして生きるほうが、はるかにマシなような気さえする。

 人生とは何ぞや? この問いかけは、それ自体が解答でもある。

 さて、Apple Watchが発売されたが、私はアップルの製品が好きで、こんな私でもiMaciPadiPhoneを持っている。アップルの機器類は機能的にもデザイン的にも他者製に比べ進んでいると思うが、しかしさすがにApple Watchをどうしても欲しいとは思わない。

 時間はスマホで確認すれば十分だし、メールのやりとりなどほとんどないし、ビジネスの世界からはほど遠い環境で生きてるし…。

 Apple Watchの一番の売りは健康管理機能にあるらしいが、これを身に付けて心拍数や歩数など常にチェックするなんて、これでは健康管理してるのではなく、反対に、機械に自己が管理されることになりかねない。目的と手段が逆転する生活に追い込まれることになる。

 IT機器類で依存症になる毎日などまっぴらゴメン。心の奥底では何も身につけたくない裸の自分がいて、何かを所有したがるもう一人の自分を嗤ってる。