まったく関係ない事象だが…

 この世でもっとも不思議で謎に満ちているのは、やはり何と言っても無限の大宇宙だろう。宇宙に目を転じれば、想像の翼はいつまでもどこまでも羽ばたく。一方、宇宙と同じくらい謎に満ちた存在が「私自身」である。なぜ私はここにいるのか? なぜ私という人間が選ばれたのか? もう不思議で不思議でしょうがない。

 そして、つくづく確信せざるを得ないのだが、もっとも大きな宇宙と、もっとも小さな私自身とが、見事に直結しているということ。この両者は価値観において等しい。

 そんな貴重な一人ひとりの人間とはいえ、それはあまりにちっぽけな存在。だからこそ誰もが不平や不満を持ち、それらをいかに解消するか、その方法が問われなければならない。残念ながら一部の人たちは他者を傷つける道を選んでしまう。

 一昨日、東海道新幹線内で殺傷事件が発生、犯人はまだ22歳の男性で殺すのは「だれでもよかった」らしい。自殺願望を抱きつつ、むしゃくしゃした感情が他者に刃を向けた。ちょうど10年前の秋葉原殺傷事件を思い出す。当時も犯人はやはり25歳の若者だったが、どの無差別殺人にも通底するものを感じる。

 ネットでは若者から中高年までヘイトが蔓延。殺人もヘイトも、自分の存在価値が薄れ無視される不安と怒り、そんな不平不満がマイナスに作用する。

 政治や経済、そしてスポーツ、内外で慌ただしい状況がつづくが、身近では私の町内会で様々な出来事が生じ、なんだか落ち着かない。そんな中、先週久しぶりに市内の劇場で映画鑑賞、想田和弘監督のドキュメンタリー(観察映画)「港町」。

 「港町」の舞台は平和で穏やかな現在の岡山の小さな漁村。登場するのはお年寄りと猫ばかり、空き家も目立つ。背負って来た人生は人それぞれ、淡々と映し出される風景から、過去と現在、そして未来の日本社会の様相が透けて見える。

 のどかな田舎の港町、人混みの中の無差別殺人、大宇宙の彼方…まったく関係ない事象のようだが、どれもが「私自身」を通して見事に繋がっていることを実感する。