側から見れば退屈そうでも

 先週は雨が多く5月なのに梅雨に入ったかのようで鬱陶しかったが、今週は青空を拝められると思う。毎年のように天候不順を感じて戸惑うが、本格的な梅雨を迎える来月、さらにその先の真夏はどうなるか。

 実際、西日本は既に梅雨入りしたが、例年より二十日以上も早かったというから驚く。北陸地方が梅雨に入るのはいつ頃か分からないが、爽やかな初夏を十分に味わえないとしたらなんとも寂しい。

 新型コロナが感染拡大する最中、今のところ幸いにも私の日々の生活に大きな変化はなく、同じような時間が過ぎてゆくばかり。個人的にこれは安定して平和な証拠で何よりだが、側からはあまり面白そうでなく退屈な毎日に見えるだろう。

 だが、毎日が同じようでも面白くすることはいくらでもできる。要は旅すること、探ること、自分の内部を。インナースペースに限りはなく、どこまでも想像の翼を広げられたらいい。

 ところで、生きていると常に二つの側面を抱え込む。一つはやらなければならない事をする、もう一つはしたい事をする。一方だけに偏るような生き方はすべきではないし、させられてもいけない。

 炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、各種手続き、子供や親の世話…そして何と言っても生きる糧を得るための勤め、それらは毎日イヤでもやらなければならない事だ。一方、映画や音楽の鑑賞、読書、旅行、グルメ、ドライブ、物の収集、身体を鍛えるための運動、楽しむためのスポーツ…それらは自分がやりたい事の範疇に入る。

 やらなければならない事でほとんどの時間が費やされる人は不幸だし、やりたい事に時間の大半を費やすことができる人は贅沢極まる。後者のために前者が犠牲になるのを不公平と呼ぶ。

 新型コロナはいずれ必ず終息するが、人間同士の不公平は人類が生存する限り社会の隅々まで根深く蔓延しつづけるかもしれない。自分の内面を探りながら他者と共感しつつ、不公平是正の処方を探るのは一人でもできる重要な営みだ。