人生100年の生き方

 織田信長は「人生50年」と口にしたそうだが、信長が生きた戦国時代と違い、今や「人生100年」時代を迎えようとしており、当然のごとく高齢になってからの生き方が問われる。時代を反映し、書籍やネットなどでは高齢者に関する記述がとても多いし目立つ。

 人生が100年ならば、ちょうど半分の50年を区切りとし、前半と後半とに分けて考えるのがいいかもしれない。前半は年齢を重ねる50年、そして後半は年齢を捨てる50年。

 これまでの人生論は前半の50年にあまりに重点を置き過ぎた。経験を積み、知識を蓄え、知恵を働かせなければならないことに変わりないが、後半の50年をより良く生きる術を真剣に考える時代が到来したということ。

 50歳以上の人は、これからはもう年を「重ねる」のを辞めたらいい。50歳を過ぎたら年を「取る」べきだ。重ねれば重ねるほど物事を抱え、引きずり、負担が増すばかり、取っぱらってしまえば身軽になるというもの。

 比較的若い世代なら誕生した時から人生を見たがる気持ちは分かる。しかしある程度の歳になれば最期から人生を見た方がスッキリする。誰もが誕生日を知っているが、最期がいつかは分からない。とはいえ、年を取れば大体それの予想はつくだろう。死が近づいてるのに、何でも溜め込む人生なんかじつにアホらしいじゃないか。

   年を重ねたことで経験豊かになったと勘違いし、たいした経験でもないくせにそれを年下の人々に誇示するのは愚の骨頂。むしろ、死に近づくことで生きる姿勢や態度は謙虚にならなければ、年を取った大人を自覚せねば。

 威張りたがる政治家など典型だが、彼らは性欲や食欲は衰えても権力欲や物欲は衰えるどころか益々増大してるように見える。私は彼らを恥ずかしいと思うし、同時にあんな人生は送りたくないとも思う。政治家でなくとも、身の回りに意固地で我儘で自分勝手な高齢者はいるが、うまく年を取れない悪い人生の見本ではないだろうか。謙虚な真の大人が政治を司どってほしい。

 どんな人も最初はスベスベの赤ちゃんとしてこの世に誕生し、周りの人々の世話を受けながら育てられる。そして、どんな人も長生きすれば最期はシワだらけの老人となり、周りの人々の世話を受けながら棺桶に入るのだ。