人生100年

 高倉健菅原文太愛川欽也野坂昭如永六輔大橋巨泉…等々、最近、各分野で活躍した男性の著名人が相次いで亡くなった。そして、彼らのほとんどが80代前半で生涯を全うしている。一般男性の平均寿命と比較するなら、彼らの寿命は平均より少し上で、だから彼らは十分生きたのかもしれない。

 しかし、それでも彼らの死はちょっと「早い」という気がしてならず、そう思うのは彼らにもっと活躍して欲しかったからだ。

 いや、活躍うんぬん、有名無名を問わず、やはり80代前半での死は早いと思う。80代という年齢を聞くだけで「若い」という感覚に私は包まれてしまうが、今の私にとって、年を取ってるなぁと感じる年齢は90代後半だ。私の母親が97歳の現在も生きているからそう思うのだろうか。

 人生の本当の勝負は80歳を過ぎてからのような気がする(半分冗談、半分本気)。それまでの期間は勝負をするための下準備のようなもの。他人がどうであろうと、少なくとも私の人生はそういう人生だ(と勝手に思っている)。

 さて、来週の19日(月)は敬老の日だが、この日が近づくと各分野で活躍している高齢者、特に超高齢者の話を目や耳にすることが多くなり、彼ら彼女らの言葉にはさすが年齢を重ねただけに含蓄があり、私のような若僧?(62歳)にとっていろいろ参考になる。

 統計によれば、日本で100歳以上の高齢者は今現在6万2000人ほど、女性は5万4000人近くで9割、男性はたった1割だ。数字だけ見ると、やはり女性の方が男性より強く逞しく思えるが、これすなわち、男女不平等が裏返された形で現れてる気がしてならない。

 男女が人間的に平等になれば、平均寿命はほぼ等しくなるだろうし、当然100歳以上の男女比率がほぼ同数になることは間違いない。

 なんとか平和な社会を日本が維持できるなら、平均寿命はさらに延び、100歳という年齢が当たり前になるかもしれず、それを思えば、現在62歳の私など経験不足のガキのようなもの。これからは、区切りの良い100歳を基準に人生設計を立て直さなければならなくなる。