若いうちから断捨離を

 それぞれの人生、どんな生き方をしようと構わない。私は私の、あなたはあなたの人生を全うすればよい。たが、人は自らの意志でこの世に誕生したわけではないので、初めからどうしても一方的に流される受け身の存在である。

 学校に通い、会社勤めをし、結婚して家庭を築く。この当たり前のような生き方も、よくよく考えれば流されっぱなし、古びて腐った船に乗せられ、時代に翻弄されてるだけじゃないか。本当にそんな人生でいいの? いいわけないでしょう。

 時流に逆行し、時代に反抗すれば、イヤでも摩擦が生じるし、それがかえって生き辛さに繋がることもある。無理に逆らい抗ったりせずとも、能動的な生き方はできるはずだが、どうすればいいか。まずは身の回りから少しずつ断捨離を実行してみる。

 断捨離をなぜするのか、あるいはしたがるのか。それは身軽になりたいから。すなわち断捨離することで自由になれるからだ。物質的なものだけでなく心的なものまで、抱え込んだ重荷から解き放たれなければ自由を得たことにはならない。

 断捨離がブームとなり、今ではすっかり定着したようだが、ただそのイメージはどうもお年寄りというか高齢者、どちらかといえば死を間近に控えた人々の専売特許のような感がする。

 ボケて認知症になったり、寝たきりになって身動きできなくなる前に、たとえ意識はしっかりしていても車椅子の世話になるのは嫌だからその前に…なるべく身辺をキレイに整理しておきたい、というわけである。

 しかし断捨離は年を取った人だけのものじゃない。じつは、なるべく若いうちから始めた方がいい。若い人と断捨離のイメージは結び付きにくいが、将来の自身の自由のため、早いうちからしがらみを絶った方が断然良いに決まってる。

 高齢者の断捨離はあくまで身辺的で物質的なものが中心だが、若者の断捨離は心的な精神的な要素が強い。親、兄弟姉妹、親戚、先輩後輩…それら他者から巻き付けられたり、自ら巻きつけた鎖を解き放ち、自由で公平で対等な人間関係を築くことが肝心だ。

 何も創造できず断捨離するだけで一生が終わるかもしれない。いや、一方的に流されるまま、断捨離すらできず一生を終える人が大半かも…。