断捨離して豊かになる

 ある地域では人口減少を悩んでいるようだが(日本など)、世界的には人口爆発と言ってもいいくらい人の数は増加中、格差と差別が益々広がる現状にまみれながら私たちは生きている。そんな中、先進国と呼ばれる地域で暮らすモノを持ち過ぎた人々から、これまでの生き方を見直す動きが出ているが、その典型が「断捨離」かもしれない。

 多くのモノを所有することが豊かさの証明という価値観は、冷静に振り返れば資源の枯渇を呼ぶだけで「自分勝手・我儘」そのものだ。モノを持てば持つほど、さらに便利で快適なモノが欲しくなり、キリがないし、欲望の渦に巻き込まれ抜け出せなくなりかねない。これは病気であり、先進国に蔓延し増殖する癌のようなものだ。

  必要最低限のモノだけを持ち、身軽になって生きようとする。この生き方こそ真に豊かな人生を送れるだろうことは逆説的に正しい(私は断捨離とミニマリズムを混同してるのかもしれませんが、ご容赦ください)。

 目の前のモノにこだわり過ぎると遠くが見えなくなり、モノに執着し、モノに振り回されると肝心なことを忘れがちとなる。その肝心なこととはより大きな広い世界のこと。それが体感できることこそが豊かな人生の証ではないだろうか。断捨離して貧しくなるどころか益々豊かになれる可能性がある。

 とはいえ、何もかも捨て去るわけにはいかず、生きてゆくためには衣類や食器など最低限のモノはどうしても必要だ。その最低限の必要なモノには小さな自分だけの部屋(空間)もできれば加えたい。六畳、いや四畳半の部屋で十分、その部屋には品物を置かないこと。何もない小さな部屋の空間で、たとえば一人静かに座禅を組むなら、自分が、世界が、どんなに深淵であるか体感できるかもしれない。

 三畳間でもいいから自分だけの部屋を持つ。もしそれができるとしたら「なんて贅沢な…」と思われるのも事実だろう。それほど現実の社会に格差は蔓延し、自分の住処さえ確保できない人々が大勢いることは確かなのだから。

 しかし、世界に70億以上の人々がいて、いや、かりに100億人が存在しようとも、そのすべての人々に小さなプライベートな空間を与えることは不可能ではないはず。むしろそれは当然の権利であり、人として生きるための最低条件ではないのか。

 お城や宮殿のような邸宅で暮らす大富豪が権威を誇る一方で、家を失い粗末で不衛生なテントで共同生活を送る難民たちが大勢いる。そんな不公平な現実世界に生きるには想像力を発揮しなければ…そのためにも余計なモノを捨て、自分だけの時間と空間を確保したい。