死刑、自殺、オリンピック

 世間は新型コロナウイルスで騒々しいが、並行して重要な案件が次々と報道された。ひとつは障害者を大量殺人した植松聖被告に死刑判決が出たこと。もうひとつは森友学園問題で自殺した赤木俊夫氏の遺書が公表され、政権と官僚の歪な関係が再び表面化したこと。他にもいろんな話題があるものの、特に上記二つは注目に値する。

 植松聖被告は上告しないようなのでそのまま死刑が執行されるだろう。しかし私は彼を死刑にすべきではないと考える。なぜなら植松聖を死刑にすれば社会は彼に負けたことになるからだ。彼には時間が掛かっても徹底して反省してもらわなければならない。彼のような人間を更生できない社会は未熟な証拠だ。

 森友学園関連(だけでなく)もあまりに酷過ぎる。この問題を闇のまま葬ってしまうなら、これまた社会の敗北ではないか。政権や官僚トップの責任を徹底的に追求せねばならない。「再調査しない」と安倍首相や麻生財務相は言うが、負い目を背負う悪党の言い逃れだ。

 そして、東京オリンピック。開催についていろいろ意見が交わされてるが、IOCJOC、日本政府、評論家、コメンテーター、タレント、いろんな人達の声はともかく、肝心な日本のアスリート達の声が少ないのが残念。

 東京オリンピックパラリンピックをどうするのか、中止か延長か、それとも予定どおり推し進めるのか、冷静に考えるなら延長などありえず、中止か実施か、現状を踏まえれば、中止するしか道はない。

 延長して何としても開催したいだろうが、空いてる期間はないし、さらに費用は嵩むし、選手選考は見直さなければならないし、負担が増すばかり。予定どおり開催しても盛り上がらず、もし甚大な被害が起きれば日本の信用は完全に失墜する。

 オリンピックは何のためにあるのか、新型コロナウイルスが蔓延する中、人類はもう一度真剣に考え直す機会が与えられたと思う。オリンピックとはお祭りに過ぎず、それが中止されたからといってガッカリする必要などないはず。オリンピックに命を賭けたがる雰囲気こそが大問題だ。

 現在の肥大化し利権が複雑に絡むオリンピック、ここに目的と手段が逆転した典型的な世界構図が見える。オリンピックが無くてもスポーツはいくらでもできるじゃないか。