便利だからと喜んでばかりはいられない

 IT技術の進歩は目覚ましく、10年ひと昔が今や三年…いや一年ひと昔になってる。世の中は便利な品物で溢れかえり、新製品が次から次へと生産され、あっという間に身の回りを取り囲む。そして、それらのどれもが小型でオシャレで格好良くて、外出すると時も肌身離さず常に持ち歩きたくなる始末。

 電気量販店で今話題の自動翻訳機「ポケトーク」を触ってみた。まさにポケットに入る小型サイズで、しかもとても使い易いと感じた。値段は3万円前後で少し高いが、よく売れているという。WiFi無しでも使えるのが良い。実際に現物を見て私も一台欲しくなった。

 しかし、よくよく考えると「ポケトーク」など必要ないのだ。私のスマホには自動翻訳のアプリが幾つも入ってるし、いつもスマホを持ち歩いてるのだからそれを活用すればよいだけのこと。宣伝情報に煽られての衝動買いは無駄の極み、もっと冷静になり足元を見つめなければと自戒する。

 じつは私のような怠け者にとって、ちょっとした準備や操作が意外と面倒で、ボタンを押すことやイヤホーンを付けることですら、次第に面倒臭くなってくる。心の奥底で、身軽でいたい、パンツ以外なにも身に付けたくない、という本音が横たわる私だからである。

 スマホを始めとするITを駆使した電子機器や、高速で精巧な通信技術の発達は、私たちの生活環境を激変させ、確かに豊かで便利になったように見えるが、しかし本当にそれらのおかげで私たちは幸せになったのか…と怠け者の私は大いに疑問を抱くのである。

 時代の先端に接すること自体、それは素敵な体験かもしれないが、と同時に違和感を覚えることも確か。多くの識者が指摘する通り、じつはIT技術の進歩で自由を得たのではなく、むしろ私たちはガチガチに管理されてしまってるのが実態だろう。

 スマホなど一見とても便利な代物だが、それは言葉を変えれば、じつは拘束する機械であり、かつての「鉄の鎖」が今では「スマホ」に代替されてるのじゃないだろうか。スマホを自在に扱うというより、逆にスマホに弄ばれてる私たちではないのか。