災害の恐怖

 雷が鳴り、強風が吹き、豪雨が降ったときなど、私が子供の頃は停電になることがしばしばで「ああまたか」という感じだった。今現在、幸いにもまったく停電を経験しない。であればこそ、昨年の地震による北海道のブラックアウト、そして今回、台風15号による大規模停電には驚くとともに、金沢に住んでる私はただ単に運が良いだけだと痛感する。

 関東地方を直撃した台風15号は強力だったとはいえ小型、だから金沢にはほとんど影響がなかった。そのせいもあり被害は大したことないように思えたが、とんでもない間違いだった。

 凄まじい強風で送電線や鉄塔が幾つも破壊され、数多くの樹木が倒され、東京、千葉、神奈川などの首都圏で90万戸もの停電が発生、今現在も千葉県を中心に大勢の人々が生活困難に陥り、熱中症で死亡した人も出ている。

 一旦停電すると水を組み上げるポンプも作動せず断水となり、私たちがいかに電気に頼って生活しているか、災害に遭って初めて実感するというわけだ。ハイテクの進んだ現代社会も電気の供給が止まれば石器時代に逆戻り、私の家もオール電化なので脆い。イザとなった時の準備は必須だ。

 停電しても昔はそれほど怖くなかったが、何もかも電気に依存しながら生活を送る現代でそれが起きたらと思うとゾッとする。それにしても台所やトイレまで電化された生活を送るようになるとは、一昔前までの私には想像できなかった。

 昨年は、北陸地方の豪雪、岡山県倉敷市真備町の豪雨、酷暑の熱中症、台風21号の強風で関西国際空港連絡橋にタンカーが衝突し道路と線路が破断、北海道胆振東部地震によるブラックアウト等々、大きな災害が連続し、昨年に比べれば今年はそれほどでもないかな…と感じていた私だが、被害に遭われた方々からすれば比較など論外だろう。 

 犠牲になった人々や被害に遭われた方々に思いを馳せ、同じ境遇になるかもしれない我が身を想像してみる。つくづく安易でダラシのない今現在の自分を実感する次第である。