銀行屋か詩人か

 ルノーと日産、そして三菱自動車の前会長カルロス・ゴーンが50億円以上の脱税容疑で拘留されている。有罪か無罪かとは別に、ゴーン氏はある意味で現在の経営者の典型なのだと思う。

 ニュー・ヨークはウォール街の金融ディーラーたちや、現在の内外における他の経営陣たちも志向はゴーン氏と似たり寄ったりかもしれない。すなわち、彼らは金儲けしか考えていないということ。

 以前、アップルの創業者である今は亡きスティーブ・ジョブズのドキュメンタリーを観たが、彼は非常に印象深いことを語っていたのを決して忘れない。「私は銀行家にはなりなくない、私は詩人になりたい」ジョブズのこの言葉に彼の目指したものが端的に表れている。

 経営者に限らないが、人は銀行屋になることで堕落してゆく(銀行で働く人には誤解を招くかもしれないが)。どんな業務に携わろうと、人は詩人を目指すべきなのだ。初代の経営者たちの多くは新鮮で良いものを作ろうとする詩人の心を持っていた。しかし、二代目、三代目になるとそれを忘れて単なる銀行屋に変貌してゆく、招かれ社長も同様だ。

 金(カネ)無くして生きてはゆけない社会で暮らす以上、誰だって金にこだわるのは当たり前とはいえ、金はあくまで生きるための手段であり目的ではないはず。金儲けが目的化すると、人生のための金が、金のための人生に逆転する。

 「金(カネ)のための人生」とは悲しい人生ではないか。なぜ人は年齢を重ねても金を蓄えつづけたいと思うのか。年を取り、日毎に人生が残り少なくなってるにもにもかかわらず、なぜ人は何十億もの金を欲しがるのだろう。

 それは力を誇示したいからなのか。私は毎日慎ましく生きている、そんなこと思うのは一部の人だけ…と自分は金の盲者ではないと断言できるだろうか。大金持ちから貧乏人まで、じつは同じ線上に乗せられ操られてるのが資本主義社会の実態だ。