W杯を見ながら

 サッカーのワールドカップなんて全然関心がなかったのに、なぜかテレビのチャンネルを合わせている。最初の10分だけ見てテレビを消すつもりが、つい最後まで見ることに。強者と弱者、大国と小国の対戦では、もちろん弱者と小国を応援する。

 先日など、ドイツ対メキシコの試合が面白く画面に釘付け。結局、深夜2時近く試合終了まで観戦してしまった。王者ドイツに対してメキシコがどんな戦いを挑むか、世界的にはメキシコだってとても強いが、なんといってもドイツはランキング世界一。しかし素早いパス回しとカウンターで、なんとメキシコが1ー0でドイツを下す。こういう番狂わせはとてもエキサイティング、予想通りはつまらない。

 サッカーというスポーツががなぜこうも世界中で人気なのか、ワールドカップを見ながら分かるような気がする。それはサッカーそのものより、周りのお膳立てのせいだ。サッカーで熱くなっているのではなく、世界大会が熱くしてるわけだ。

 普段はサッカーにそれほど興味が無くても、なぜかワールドカップになると浮かれるのは、それがお祭りだから。しかしよく考えるとこれは怖いことで、人は踊らされやすいとつくづく思う。核になる中心の存在そのものより、周囲の演出で雰囲気がガラリと変わる。

 サッカーが盛り上がるのは周囲のお膳立てだが、もちろんサッカー自体に魅力があればこそ人々は関心を抱く。手を使えない制約があり、得点がなかなか入らない苛立ちがむしろ人々を惹きつける。足で相手ゴールにボールを押し込む単純さは分かりやすく、一方でオフサイドというルールが戦術を非常に複雑にさせる。

 団体競技で広いフィールドを駆け回るのはスピーディーだし、なかなか得点できないが、いつ得点する(される)かと目が離せなくなる。しかも、地域や国を代表させるのでナショナリズムが喚起、これじゃぁ多くの人々が熱くなるのは当然だろう。

 スポーツの範疇でワイワイ騒ぐだけならまだ許されるが、これが政治経済、そして直接庶民の生活にまで及ぶとなると大変だ。冷静な判断と決断、そして行動が求められるが、イザとなった時、人間は弱いからまんまと騙され流されるかもしれない。