スポーツイベントを問う

 オリンピックやワールドカップを開催するのに、なぜ新たに競技施設を建設しなければならないのか?

 途上国や新興国など、大きなスポーツイベントを初めて招致する場合なら、「発展」を名目に、これまでなかったものを新たに作りたくなる気持ちは分かる。しかし、二度目、三度目の開催なら既存の施設をソックリ利用すればそれで済むはず。古くなったなら補修すればいいだけのこと。

 2020年夏季五輪東京大会は1964年以来56年振りで、当時の施設は時代遅れ、との言い訳は理由にならない。その間、大なり小なりさまざまなスポーツイベントが開催され、ありあまるほど東京周辺の施設は充実している。神宮外苑の国立競技場がどうしてもイヤなら横浜の国際総合競技場を使えばいい。横浜は東京ではない、という意見も出るかもしれないが、オリンピックの期間だけ臨時に東京に組み入れてもらう。それくらいの柔軟性は必要だ。

 オリンピックは基本的に国ではなく都市開催だが、過去の大会を振り返っても、ひとつの都市だけですべての競技を消化することなどできず、かなり広範に拡散していることが分かる。海や山や川を利用しなければならない競技もあるわけで、五輪は都市開催よりも地域開催が本当なのだ。

 繰り返すが既存の施設を活用すべきである。横浜国際総合競技場という新しくて立派な施設を利用しないなんて、それこそバチが当たるというもの。これだけで1500億円ほどの費用は確実に節約できる。水泳も体操も代々木の体育館を使えばいいじゃないか。

 サッカー大国ブラジルのワールドカップだが、巨額を投じて新たなサッカー場をなぜ建設しなければならないのか? これがどんなにバカバカしく無駄遣いであるかを十分に知っているからこそ多くのブラジル国民は怒っているのだ。

 現在のスポーツは市場原理主義の先鋒になってしまった。IOCFIFAの責任は重く、スポーツに携わる人々の精神構造が鋭く問われている。スポーツは何のためにあるのか?