まったく不思議なことに、なぜ多くの人は「国家」や「民族」にこだわるのだろう。産まれ育てられた環境(アイデンティティ)にこだわるのは当然だと反論されそうだが、なぜ自分は「地球人です」とまずは言えないのか。
しかし、上に述べたような感想は余裕ある人々の支配し差別する側の論理に過ぎないと、また一方からも批判されるに違いない。そう、確かに「みなが地球人」と吹聴するのは支配し差別する強者側からの都合のいい論理であり、支配され差別される弱者側にとって「現状を受け入れ、文句をたれるな」と強者側から言われるに等しいのである。
日本に当てはめれば、アイヌ民族に向かって「地球人になって仲良くしよう」と訴えかけようと何ら説得力はない。少数のアイヌのような滅ぼされるかもしれない民族の立場からすれば、自分たちの民族にこだわりを抱くのは当然のこと。一方、滅ぼされる心配のない大和民族にアイヌほどの危機感などあるわけがない。
問題は、大和民族のような強者がなぜか己の立場にさらにこだわり、他者との軋轢を生み出すことにある。民族にかぎらない、国家間の諍いも互いが自国へのこだわりが強すぎるために生じる。
大国(強国)と小国(弱国)とを比べるなら、大国の権力者や民衆は大国であるが故にさらに自国にこだわり力を誇示したがる。アメリカ合州国を、ロシアを、中国を…そして日本の現状を見るがいい。小国はなんとか維持するため自国にこだわるのは当然、だからといって大国のように力を誇示するわけではない。
小さな国々や少数民族に向かって「国家や民族にこだわるのはやめ、みんなで地球人になろう」と説得するのはスジが違う。それを訴えるべきは、アメリカ合州国やロシアや中国や…そして日本に対して、さらにアングロサクソンやスラブや漢民族や…大和民族に対してである。
たとえ小国でもイスラエルのような威張りたがる強国ではなく、虐げられるパレスチナにこそ民族自立と国家樹立を支援し、イスラエルのユダヤ人にはもっと「地球人になれ」と勧めよう。