不思議でしょうがない

 この世で一番不思議な存在は宇宙である。これはもう、誰も否定しようがないだろう。そしてそれと同じくらい不思議な存在が、日々生きている(生かされている)自分という存在だ。宇宙はなぜ存在するのか? 自分はなぜ今ここにいるのか? この疑問の不可思議さはほとんど同一レベルである。

 この世における最も広大無辺な大宇宙と、もうこれ以上分割できない最も小さな自分自身とが、同じように摩訶不思議な存在であるという事実は驚嘆に値する。しかし、よくよく考えれば大宇宙と自分自身には共通項が備わっていることが分かる。

 物事の実態や本質を知るには内側を探索すると同時に、外側から観察しなければ全体像は決して分からない。残念ながら、宇宙の外に出て宇宙を観察することができないのと同様、物理的に自分から遊離して自分を眺めることはできない。

 途方もない無限の大宇宙の外に出るなんて、誰もが不可能であることくらい理解できる。しかし、自分も同様に自身から脱出できないという事実は、考えてみれば何とも不思議である。

 生身の身体を引きずりながら生きている自分は、顔も、背中も、直接見つめることができない。鏡を通してそれらを見ることはできても、その像が本当の自分かどうか随分怪しい。完全なる鏡など存在せず、それがちょっとでも歪んでいれば、映った自分は本当の自分ではない。

 すべての人は永久に本当の自分を自らを通して知ることはできない。しかし、自分は自分以外の他者を直接見ることならできる。だから自分(人間)は他者を通してのみ自分自身を知るしかない。人間にとって内なる他者性が問われるのはその為だ。

 どんな高性能な探査機や望遠鏡が発明されようと、宇宙は永遠の謎として存在しつづけるだろう。だが、人間は他者性の概念から「人間とは何か?」の謎をいろんな領域でかなりの部分が解明されてゆく可能性はある。