人類の到達点とこれから

 現在はある意味で人類の到達点かもしれず、その象徴が「核」と「インターネット」だ。この両者は良くも悪くも世界をひとつにしてしまった。歴史の流れは科学技術の発達に伴い争いを拡大させつつ現在に至り、ついに、全体の破壊(核)と統制(インターネット)を一気に手に入れたわけである。

 ところで、人類は時を経ても同じ過ちを繰り返す。生まれ変わりながら世代交代する限り、同じ過ちを繰り返すのが人類。一方、科学技術は新しいものが次々発明され、時間と共に業績は積み重ねられるので決して古くならない。もし人類がこれまで通り過ちを繰り返すなら、この先どうなるか誰でも想像できるはず…。

 世界を瞬時に破壊させる核開発能力。さらに、全体を統制し管理可能なコンピューターとインターネット。現在、科学技術はここまで進展して来たわけで、だからこそ現在及び未来の人類はそれらをコントロールできるかどうかが問われる。

 同じ過ちを繰り返す限り、人類は滅亡か奴隷の道を歩むしかない。人類が本質的に変わらなければ絶望するしかないが、しかし、他の生物と違い変化できる可能性を秘めているのが人類である。人類が生き延びるためには価値観の転換が必要で、科学を認識し尚且つ包含する、同じ過ちを繰り返さないための新しい哲学が今こそ求められる。

 では人類にとっての転換、すなわち「変わる」とはどういうことか。一人ひとりの人間は歳を取るし、引っ越しもする、性転換するかもしれない…もちろんそれらは変わることに違いないが「転換の本質」とは違うだろう。

 本質とはやはり外見的なことより内面的な要素が強く、「利己」にこだわり続ける限り人間は本質的に変わることなどできず、「自分本位」から解放され、他者を受け入れること。それができて初めて、変わったと言えるのではないだろうか。

 では「他者」とは何か。それはもちろん私以外のすべての人間のことだが、厳密には「すべての人間の本質」のことであり、だから、「他者」には「私という人間の本質」も含まれる。「変わる」ことで、こだわりの身から解放され、自分も含めた人々の自由と平等を強く意識するようになり、それは国境や民族や人種や宗教を超えてゆく。