人間は変わらないけど社会は変わる

 トランプ、プーチン安倍晋三など、力を誇示し威張りたがる政治家の出現を見る度、ああ、歴史は何度も同じ過ちを繰り返すのだなと痛感する。

 自ら産まれてくる人間など一人もおらず、無知のまま産み落とされる人間は基本的にはまったく変わらない。だから、変わりようのない人間は同じようなことをただ繰り返すのだろう。

 同じ失敗を何度も重ねる変化しない人類を見ていると絶望的になるが、しかし科学技術の進歩から社会の表層が変貌したことは事実。そして、過去と現在との違いは、過去では悲劇が限定的であったのに、現在ではそれが一瞬にして全体に及ぶようになってしまったこと。

 いつの時代でも毎日の生活を送る中、人は貧しさよりも豊かさを求めたがるのは当然。悲劇が一瞬にして全体に及ぶようになってしまった現在、だからこそ時代にふさわしい真の「豊かさ」を「変わらない人間」といえども追求する必要がある。

 人間の「豊かさ」とは、さて、いったい何だろう? イメージとして、浅いよりは深く、狭いよりは広く、そして、少ないよりは多い…が豊かさの証のように思える。だがしかし、「物が多い」こと「多くを所有する」ことは豊かさとは直結しない。

 昔と違い、現在の私たちは「地球」という限られた世界(物)に生きていることを知っている。これまで、私たちは物の多い少ないを競い合ってきたが、もう限界である。物を奪い合ってる場合じゃないのだ。

 多さを自慢できるとすれば、知識や経験が当てはまるかもしれないが、しかし、知識や経験をいくら重ねても良い知恵を出せなければ意味はない。知識や経験だけでなく、環境や展望を視野に入れながら「豊かさ」を追求したい。