地球人という個人

 地球人、そう私たち皆が地球人だ。同じ地球人なら互いに仲良くすればいいのに、そうならないのは、この地球よりも小さく窮屈な国家や民族や人種や宗教に人々がこだわり過ぎるから。

 例えば日本では、アイヌ民族在日朝鮮人、そして沖縄人の存在がある。彼らは少数で、これまで「日本」にこだわりたがる多数のヤマトから今現在も差別や迫害を受けつづけている。しかし、アイヌ在日朝鮮人や沖縄人が本当に訴えてるのは民族や人種のことではなく「同じ人間として我々も対等に扱ってほしい」ということである。

 世界中のあらゆる差別や迫害の根本に横たわるのは、国家や民族や人種や宗教の違いではなく、それは人々の「人権」に対する意識の弱さだ。同じ人間なのに、強者が弱者を差別し迫害しつづけるのは、支配する側が権力維持のため。人権への関心を逸らすため、権力者は人権問題を国家や民族や人種や宗教の問題にいつもすり替える。

 同じ地球人なら仲良くなってほしい…とはいえ人間には好き嫌いが必ずあるし、それがあるからこそ人間とも言える。好き嫌いだけでなく、人間だから恨んだり妬んだりもするだろう。どんな人も自分以外の全ての人々と友達になり仲良くするなんて不可能だ。

 人間だから嫌いな人と喧嘩することもある。それが個人レベルなら当時者同士の問題で終始するが、問題はそれが国家や民族や人種や宗教の領域に及ぶことで、個人の喧嘩なら些細な事でも、集団化した喧嘩になると悲劇がさらに拡大してしまう。これまで人類の歴史はその悲劇を繰り返してきたことは自明の通り。

 もう、悲劇を拡大させない、悲惨な状況を作らない。そのためには国家や民族や人種や宗教などへのこだわりを弱め、より以上に人間の個人としての自立と自律を確立することが何より肝心である。地球人として一人ひとりが「個」を自覚できるなら、極端な差別や格差は解消に進むし、大きな紛争は確実に防ぐことができる。