個人の命は地球より重い

 結婚したら夫婦は同姓を名乗る、という日本の法律。これは数ある理不尽な現象の中で最たるものの一つ。なぜ、自分の姓を相手に、または相手の姓を自分に合わせなければならないのか。これは人間から大切な個性を奪い、家族に呪縛させる手段である。

 私は家族を否定するつもりはない。結婚することで家族が形成され、子供が授かれば家族の色合いはより濃くなる。けれど、家族は個人のためにあり、決して家族のための個人ではないはず。個人を喪失させる家族など上辺だけで空っぽの共同体に過ぎないだろう。

 凶悪犯罪の半分近くがじつは血縁関係で生じてるらしいが、これなど人間性を奪う現在の家族制度が原因かもしれず、もし、夫婦別姓が浸透し、個人を尊重する家族が形成されるなら、ドメスティックバイオレンスや殺人など凶悪犯罪の件数は大幅に減るのじゃなかろうか。

 先月下旬「地球人という個人」という記事を書いた。国家や企業など、どんな団体や組織よりも超えた存在が地球だが、だからと言って地球全体が巨大な家族になってしまってはいけないのであり、地球のために個人が犠牲になるようでは家族に呪縛される個人と本質的に変わらない。

 国家も民族も人種も宗教も、そして企業も、さらに家族も…どんな団体も組織も共同体も個人から成り立つ。

 個人とは何か? 少なくとも一人ひとり個人の命は地球より重い。これは紛れもない事実。そんな大切な命がこの地球上に今現在70億人以上生存しているからこそ、私たちはこの地球環境を守らなければならない、という思想を確立したいものである。