将来性

 例えば、一億円持ってる人と、一万円しか持ってない人がいて、私たちが外から判断すれば一億円の持ち主のほうが豊かに見える。ところが、前者は浪費癖があり一億円はみるみる少なくなっていくのに、後者は将来に向け少しずつ貯金してる。

 前者と後者とどちらを好むかは人それぞれだろうが、将来性を考えるならやはり後者だろう。私たちが気をつけなければならないのは、その瞬間の外見だけで判断してはいけないということ。

 お金だけじゃなく、これはあらゆる領域に当てはまり、特に年齢は勘違いするかもしれず、若さが将来性に富むと判断するのは大間違い。年配者でも前向きに生きようとする限り、常に将来性は備わる。

 その将来性について世界的・歴史的に想像をめぐらすなら、「先進国」や「大国」と呼ばれる国々と、「途上国」や「小国」と呼ばれるいわゆる「第三世界」に属する国々とを比較するなら、もちろん前者よりも後者にこそ将来性はある。

 さて、大国・強国(弱いくせに強がる国々も含め)が威張りたがる今の時代、世界的にかなり危ない情況にあることは確かで、一触即発から、いつ何時大規模紛争が勃発するとも限らず、各国の指導者たちを見てもロクでもない奴ばかり。

 とはいえ、やや長期的に眺めるなら、かならず潮時は変わり、いずれ改善する方向に進むと思う。トランプも、プーチンも、ルペンも、習近平も、金正恩も、そして安倍晋三も…、彼らが一掃された時、雰囲気はガラリと変わるかもしれない。

 ますます狭くなりつつ地球、こんな地球上で一億円持ってる強者や大国は時代遅れそのものであり、「分散・共有」でしか生きる術を持たない一万円しか持ってない弱者や小国にこそ将来性が備わる。時代の転換は、かならず訪れる。