絶望の先取り

 まったくイヤな時代になってきた。毎日を真面目にコツコツ生きてることがバカらしい。結局は独裁者の好き勝手に事が運び、庶民の生活は益々息苦しく窮屈になるだけ。

 人々の自由と平等のため独裁的政治を批判するのは当然、ところがそれらの声がなかなか届かず、現状は悪化の一途。むしろ破廉恥政治を支持する勢力が無関心層を取り込み、極右体制は益々盤石になりつつある。

 テレビや新聞の大半は体制側に呑み込まれ、権力の番犬になり下がり、権力を批判すべき本懐が逆に弱者に吠えまくる始末。決して目立たず、正真正銘の無実の人々も、ある日突然警察に呼び出され、そのまま刑務所に収監されかねない。

 まともな意見も「共謀罪」の烙印を押され、権力者への批判はタブーとなり、誰も愚痴ひとつ言えなくなるだろう。さて、こんな世の中でどうやって生きていけばいいのか。

 なんだか虚しい。悪政を正面から批判してもほとんど効果はなく、もっと有効な方法や手段を見つけなければと思うが、それらは簡単に見つからないし、見つかれば苦労しない。

 もし、多少の余裕があるなら、社会から遠去かりたい。社会的な試みからなるべく距離を置き、できればまったく政治経済を無視できたら幸せかもしれないが、とはいえ流れに身を任せるだけの消極的な姿勢では、その生き方そのものが体制補完になってしまう。

 絶望的な情況にあってもわずかな希望を見出したいのは人の常だが、ほとんど無駄なような気さえする。むしろもっと「絶望を先取り」すべきで、さっさと絶望した方がまだ救われるかもしれず、真の希望は絶望の土壌から芽生え育つかも。