身近な問題、重要な問題

 先日、町会人事の引き継ぎがあり、私は来年度(4月以降)から副会長になる。町会の役職など本当はやりたくないが、まあ、これは順番のようなものだから仕方ない。町会は100世帯ほど、範囲は狭く、大した仕事になるとは思わないが…。

 全国どの市町村にも大小の「会」が存在し、毎年、あるいは2年毎に役員が入れ替わり様々な行事が催されている。考えてみればこれは凄いこと。ある意味もっとも重要な「場」かもしれず、身近な町会の運営は市政や県政、さらには国政にまで影響を及ぼしかねない。

 人間社会には様々な問題が山積し、どの町会にも小さな揉め事はある。会費、ゴミ、騒音、人間関係…それらで悩んでいる人々は多く、もしそれら身近な問題が上手に解決できるなら、世界中の大きな問題に対しても解決の糸口が見つかるだろう。

 小さな問題も大きな問題も…近くの問題も遠くの問題も…それらは通底し、どこかで繋がっているのだと思う。ご近所のトラブルは、じつは世界の諸問題と相似形なのだ。

 ところで身近な問題は、身近であるがゆえに関係者の利害や好き嫌いの感情が複雑に絡み合い、解決するにはひょっとして一番難しいかも。放置されたままの数々の問題が多過ぎて、いずれ誰かがやってくれるだろうとの思いが蔓延、時間だけが過ぎ去る。

 なぜ? できないのだろうか。責任を負いたくないからか。もっと気楽に取り組めるようになればいいのだが…。

 それにしても街中の町内会は少子高齢化が進み、人口減。年寄りばかりで子供の姿をほとんど見かけない。催し物も参加者は年毎に減りつづけ、いずれ成り立たなくなる。数々の問題も放置されたまま、最後は町会も消滅し諸問題も消滅。これが最終的解決となってしまうのだろうか。