ミクロの視点

 何事もミクロとマクロの視点から考察しないと本当のことは分からない。物理学で量子力学相対性理論の両者が重要であるのと同様、エラい学者からほど遠い私のような一般庶民にもそれは当てはまる。誰でも同じだろう、身近な出来事に注意を払い、また遠くヘ想いを馳せることで、人間としてより良く生きることが可能となる。

 とはいえ、名も無き私など、毎日の生活を送る中、様々な雑事に振り回されると遠くへ想いを馳せることがなかなかできず、マクロの視点を働かせるにはよほどの余裕がなければ無理。だからこそ、庶民にとってミクロの世界との関わりがとても重要になってくる。

 できることから…まずは身の回りの些細なことに注意を払いたい。よく見れば足下で蠢くものがいっぱいあるではないか。家の中のイザコザも、ご近所のトラブルも、そして遠く異国で起きたテロ事件も、似たり寄ったり、どこかで繋がっているのは間違いなく、紛争、汚染、事件、事故、災害…世界の問題の原因が、じつは自分の足下に集約されていることがだんだん分かってくる。

 望遠鏡を手にしたくてもできないときは、気を配りつつ周辺を眺めて見る。ちっぽけな問題でも解決するのは意外と難しく、小さな問題を置き去りにしたまま、世界の諸問題に嘆いてみせるのは、傷口に塩を塗ってるようなものかも。

 それにしても、地球と個人(私)を意識するなら、なにより私はひとりの地球人であり、地球は日本より遥かに重要だということが分かる。そう、○○国人より私はともかく地球人なのである。地球(世界)の出来事は、私にとってまさに身近な出来事、地球を見ることはマクロでもなんでもなく限りなくミクロなわけだ。

 だから誤解を恐れずに書くなら、アメリカもロシアも中国も、そして日本も、他の国々も滅亡しようと一向に構わない。いや、むしろどんどん滅亡してほしい。「国破れて山河あり」で結構、決して「国栄えて山河滅ぶ」になってはいけない。