不断の努力

  日本国憲法が変えられるかもしれない現状と、それが変わるなんて露ほども思わなかった昔と、さて、どちらが良い時代だったのか? 単純に比較するなら、昔の方が良かったと思うかもしれないが、しかし、事はそう簡単ではない。

  私から言わせれば昔よりは今現在の方が遥かにマシだ。なぜなら、昔は憲法について考える人などほとんどいなかったのに、今では比較にならないほど多くの人が憲法に関心を寄せるようになったから(まだまだ少ないが)。この事実だけで、安倍政権を反面教師として評価すべきかもしれない。

日本国憲法第十二条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」

 なぜ、安倍政権のような時代に逆行する極右勢力が日本社会を支配できたのか?その一番の原因は、戦後70年間、国民が不断の努力を怠ってきたからだ。私を含め国民の一人ひとりが、もう少し政治に関心を寄せ、もう少し憲法の中身について考えてきたなら、日本社会の現状はまったく違ったものになっていたはず。

 過去の時代をとやかく言ってもしょうがない。問われるのは現在、そしてこれからである。憲法に関心を抱く人々が多少増加したからといって明るい未来が保障できるわけではない。なぜなら、憲法を額縁に飾り眺めているだけではまったく意味はないからだ。

 身近なものとして、我々は現憲法をもっと意識し活用しなければ。それが国民の不断の努力だろう。憲法は私たち国民の所有物であり、権力を監視するもの。権力が自分たちに都合よく勝手に作り変えられるものが憲法ではない、そのことだけでも国民の多くは知るべきである。