ポケモンGO

 日本でも配信された「ポケモンGO」というスマホゲームが、今現在世界中で大ブームになっている。

 私は気分転換のためときどき街中に散歩に出かけるが、先週末、繁華街は人々で賑わい、中でも若者のほとんどがスマホとにらめっこしていた。すれ違いざま覗くと、話題の「ポケモンGO」に興じている。人通りの少ない路地裏に入っても、横道から突然、歩きスマホする人が出てきて、どうやらモンスター探しに夢中のようだった。

 このゲームが凄いのは、リアルな現実とバーチャルな仮想とが融合していること(拡張現実)。現実世界は現実として、仮想世界は仮想として、分断されていたこれまでの人間社会が、ついにとうとう一体化・混合されるかもしれないのである。

 本物とはいったい何だろう? 実際に見える、聞こえる、触れる、そんな世界だけが本物ではなく、そのことは大昔から人々は気づいていたし、だからこそ文学や美術などの芸術作品が数多く誕生してきたわけだが、しかしこれまで現実と作品との線引きは明確に存在していた。

 今のところ、ポケモンGOは単なるゲームに過ぎず、いずれブームは下火になるだろうが、しかし現実と仮想との融合から様々な可能性が今後各分野で誕生することは間違いなく、人類は新たな時代に入ったのかもしれない。ポケモンGOはゲームの歴史に新たな1ページを加えただけでなく、人間生活の見直しを図る可能性も秘め、注目されるのは当然である。

 とはいえ、浮かれてばかりはいられず、現実と仮想の融合はとてつもなく大きな問題を孕んでいる。ここしばらく、いや当分の間、世界は相当混乱するかもしれない。その典型は「歩きスマホ」。歩きスマホは危険でやってはいけないが、しかし自動車のAI化などと並び、ひょっとして歩きスマホの安全性も近々確立されるかもしれない。

 それにしても、歩きスマホの人々を見て思ったが、もはやスマホは手放せず身体の一部となり、人間がアンドロイド化しているとつくづく感じる。いつの日かスマホは人間の体内に埋め込まれ、人間は完全にアンドロイド化するのではないかとさえ想像してしまう。