金沢という街

 私は石川県の金沢市に生まれ育った。私の故郷は金沢である。当然のごとく私は金沢に強い愛着を抱く。愛着があればこそ、金沢は本当に良い所だと思う反面、しかし金沢は本当に駄目な所だと実感もするわけである。

 空襲されず戦争の惨禍から免れた。地震や台風など大きな自然災害にも遭遇しなかった。加賀百万石を礎として歴史を刻む城下町の誇りを多くの市民が抱き、妙にプライドが高く、他者に対する思いやりにやや欠け、分厚い保守の壁に囲まれた温室で育つ気風である。

 8月2日(日)北陸中日新聞の大図解シリーズNo1210「空襲被害」を見ると、47都道府県で空襲等による民間人の犠牲者が一番少ないのは、じつは石川の27人である。京都132人、奈良36人よりも少ないのである。

 金沢市は空襲をまったく受けなかった。一方、隣の富山市はもの凄い空襲を受け、消失面積は市街地の99.5%で破壊率は全国で最も高かった。金沢市がゼロで、隣の富山市がほぼ100%破壊された。この違いはいったい何だったのか?

 「空襲を受けなかったのは文化都市だから」という伝説が金沢にはある。私が若いころ親世代の人から聞いたことがある。米軍は、京都や奈良と同じく、古都で伝統文化を育くむ金沢を空襲の対象から外した…?

 広島、長崎につづく4番目か5番目の原爆投下候補地だったから金沢はひとまず空襲を受けなかった、という噂も聞いたことはあるが、しかし金沢は原爆投下候補にも挙がっていなかったらしい。(じつは、京都は何番目かの原爆投下候補地だったという)

 繰り返すが、金沢はなぜ空襲を受けず無傷で済んだのか? 答えは簡単、ただ「運が良かった」だけ。もし戦争が長引けば、金沢も大きな被害を受けたことは間違いなかった。

 ひと言、金沢は本当に「お目出たい保守の街」である。日本中で、いや世界中で、金沢は特別な場所ではないかーーそう信じている市民は今現在もかなり多い。

 金沢はじつに平和だ。これまで痛い日に遭うことはなかった。確かに、これまでは…。