後戻りできない

 我が家は築100年の古民家。古民家と言うと聞こえは良いが、実際はオンボロでガタガタ。さて、この家をどうするか。改築?新築? 私が生きてる間なんとか維持できれば助かるが、そうはうまくいかない、いずれ必ず手を加えなければならない(お金が心配)。

 私が暮らす金沢市は古民家を「町家」に改造することを促進中で、審査を受けて通れば助成金まで出すというから試してみる価値はありそうだ。もし町家に改造できるなら、ついでに「民泊」として営業することも可能だろう。これは大いに考慮すべきで前向きに検討してみたくなる。

 ところで、自動車が発明され普及し始めた20世紀の初め頃、おそらく人身事故だけでなく自動車自体の故障や事故が多発し、だから自動車は危険、自動車なんか作るべきではない…との意見や要望が相当多く出たことが想像できる。

 しかしだからと言って、自動車は無くなるどころか、その後益々普及し、今や自動車無しの生活は考えられない。自動車に関する法律や保険や交通ルールは、当たり前だが自動車が発明されてから作られたわけで、それが発明される前から存在してたわけでは決してない。

 自動車に限らず物事に関する仕組みは後から考案される。「民泊」も同様。じつは、私の近所で空き家を利用した新しい民泊が6月から営業するが、もしそれが始まればおそらく何らかのトラブルは必ず発生すると思う。その時、民泊そのものを否定しないよう気をつけたい(原発のような一基の事故だけで地域全体に影響を及ぼすような巨大施設は別である)。

 金沢は歴史と伝統を備えた美しい町で、だから日本でも有数の観光都市であり、毎日内外から大勢の観光客が集い賑わうが、しかし一方で、金沢は非常に保守地盤の強い土地柄で、住民の意識改革がなかなか進まない面も多々ある。

 金沢の悪い意味での保守傾向は外国人に対して如実に現れ、自分の住居の近くに外国人がいるだけで拒否反応を示す。民泊が始まると見知らぬ外国人がウロウロするようになるとの恐れが下地にあるようだが、しかし金沢も空き家問題が深刻で、民泊は空き家を活かす有効な手段になる。民泊は世界の流れ、もう後戻りできない。