悲劇を招く要因

 繰り返すが、金沢は太平洋戦争中に米軍から空襲をまったく受けず無傷であった。それが理由で金沢には「文化都市だから災難を免れた」という伝説がある。また、これまで地震や台風など大きな自然災害に遭遇したこともなく、金沢は特別な場所だと思いたがる市民は多い。まるで「神国日本」がいまだ金沢にだけ生き延びているかのようだ。

 ところで、己自身をはじめ、自分の地域や国家、そして自分たち民族は、特別に選ばれた人間・場所・国家・人種ではないか…人々はそのような自惚れに陥りやすい。だがしかし、そんな気持ちに浸り浮かれていると、後々どんな目に遭うかは説明するまでもないだろう。

 イスラエルユダヤ民族など、自分たちこそが選ばれた存在で特別なのだと信じたがる典型かもしれない。だが今現在、世界を見渡すなら「特別」を意識しているのはイスラエルユダヤ民族だけではないことが分かる。

 米国(アメリカ合州国)とその国民は、自分たちこそが何でも世界一だと信じて疑わず、世界一でなければ気がすまないようで、それが世界中に禍を撒き散らす。ロシアや中国なども米国と五十歩百歩。そして日本も政治家をはじめ多くの民衆が、日本こそが特別な存在だと主張したがり、近年特にその風潮に流されつつある。

 だが、ここでハッキリ宣言しておこう。特別な個人、特別な場所、特別な国家、特別な民族…この世に突出した特別なものなど存在しない。裏を返せば、じつはありとあらゆるものは平等に特別な存在なのだということ。

 自分だけが、自分たちだけが特別、などと優越したがるのは高慢もはなはだしく、それが他者にどんなに迷惑をかけることになるか。そんな気持ちから一刻も早く脱却しない限り、いつまでたっても不幸を招くだけ(たとえば、かつて自分たちだけが特別優秀だと信じたドイツのアーリア民族はユダヤ民族を虐殺するという大罪を犯した)。

 さて、金沢は決して特別ではなく、それどころか金沢の真下には有名な「森本・冨樫断層帯」という名の長大な活断層が横たわる。この活断層がひとたび動けば金沢は崩壊する。金沢はこれまで本当に運が良かっただけなのである。

 「痛い目に合わなければ本当のことは分からない、成長しない」とよく言われるが、戦争や自然災害など、大きな災難に遭うよりは遭わない方がいいに決まってる。だから、平和で安全な境遇の中からこそ、厳しさを自覚する想像力を育くまねばとつくづく思う。