気持ちの問題

 片想いだけど好きになった人、付き合って好意を抱くようになった相手、互いに身体を寄せ合えるほど深い仲になった恋人同士、そして結婚して家庭を築き上げた夫と妻…親密さの度合はそれぞれだが、さて、もし相手が自分の知らないところで他人とセックスしていたことが分かったら、自分はどんな気持ちになるか。

 説明するまでもない。自分の好きな相手が自分以外の他人と密かに肉体関係を結んでいたなんて、ショックでいてもたってもいられなくなり、おそらく怒りに震えるだろう。

 ある意味、セックスとは究極の愛の形かもしれない。だがしかし、セックスが「究極の愛の形」となるためには二人が心の交流から信頼し合い、互いに人間として対等な関係になったときにのみ実現される。ところで、世の中には愛情に欠けた無機質なセックスが氾濫していることは紛れもない事実。

 「恋におちて」という不倫映画のワンシーンが甦る。人妻メリル・ストリープと親密になった家庭持ちのロバート・デ・ニーロが自宅の台所で妻と向き合う場面。恐る恐るデ・ニーロは自分に好きな人がいることを妻に告白する。以前から妻はそれなりに察しており「私はバカじゃない」と言う。デ・ニーロは「何もしていない」と弁明する。それを聞いた妻はデ・ニーロの頬を引っ叩き「その方がもっと悪い!」と吐き捨てながら家を出てゆく。

 妻は分かったのだ。たとえ肉体関係がなくとも、自分よりもストリープの方に夫の心が行ってしまったことを。妻として夫を信頼していたのに…その夫が自分から遠ざかり、夫の心が知らない女の方へ去ったことにガマンならなかった。たとえ他の女とセックスしようと、少なくとも心だけは自分から離れてほしくなかった…。

 ソープランドで働く女性たちがいる。彼女たちは客にいちいち感情移入はしない。あたり前だ、身体を許す相手に気持ちまで一緒になったら仕事はできるはずがなく、彼女たちは割り切っている。ソープで働く女性の心を支配するのは、単にカネのためなのか、自分の店を持ちたいという夢なのか、それとも生活苦から夫や子供たちを救うためなのか…。

 愛情において重要なのは、何より気持ちの問題であることが分かる。いつだって自分と相手の気持ちは向き合ったままでいたい。好きな人が他人とセックスしたことにショックを受けるのは、セックスしたという事実より、好きな人の心が自分から離れてしまったのでは? という恐れからなのだ。