セックスの悦びを分かち合う

 年齢も50を過ぎると男女間で性への関心にかなりの違いが出てくるらしい。男性の70%以上はセックスへの欲求はまだあるのに(むしろ50歳の若さで70%しかない)、それが女性だとわずか30%にまで減少するという。

 以上の記事をネットで見たが、これはとても悲しいというか、残念な結果である。性欲の減少は生存への欲求が減少することに等しいから、下手すればただ味気ない生活を後半生長々と送ることにもなりかねない。

 さらに気になるのは男女間で大きな差があること。なぜこんなにも開きが生ずるのか。これは明らかに男女差別が起因しているのは間違いなく、男女が対等な関係を保てるなら、性欲への関心に大きな差が開くことなどないはずだ。

 最近「茶飲友達」という映画を劇場で観たが、実在した高齢者売春組織の事件をモデルに、これは現在のいろんな問題を提起してくれる良品だった。中心に据えられているのは高齢者の「性」。しかし家族における親子の断絶について、さらに明日なき若者の存在等、それらも上手に描写され、人生の「虚しさ」が全編を支配する。

 この「虚しさ」は日本社会に蔓延る深刻な病巣だと思う。高齢者がセックスを望むのはむしろ健全な証拠だが、それが売買春の関係でしか成立しないなら虚しくなるのは当然である。高齢者も本当は恋愛してときめきたいのであり、その結果として好きな相手と肉体関係にまで至れるならこれほど幸せなことはない。

 残念ながら年を取れば取るほど真の悦びから遠去かる。現実だから仕方ない、で諦めるようでは現実に呑まれてしまう。老若男女はもっと真剣に「性」に向き合い、悦びを分かち合うことで虚しい実人生を変えようとしなければ。そのためには性教育の充実、差別や格差の解消、多様性の承認・拡大が何より不可欠だ。

 「異次元の少子化対策」と現政権は声高に叫び、いろいろ手段を講じようとしているが、大前提としてセックスしなければ子どもは生まれないのだ。古臭い価値観のジジイ政治家達はセックスに関してあまりに保守的で閉鎖的、これで「少子化対策」などうまく行くはずがないではないか。