人生は行方不明と隣り合わせ

 仕事を中心に、炊事、洗濯、掃除…等の家事労働をはじめ、趣味や勉学など自己研鑽も含めて「しなければならない」ことは身の回りにたくさんあるが、それら「…ならない」の意識が強過ぎると、窮屈な思いに囚われ毎日がギスギスするかも。

 人はもっとのんびりと自由に生きていいはずである。毎日の自分に課してる様々な作業から一度解放されてみたい、との思いは誰もが日頃から抱いてるんじゃないか。なんで自分で自分に鎖を巻き付けねばならないのか?

 日本では年間8万人もが行方不明になるらしく、その大部分は後に発見され戻ってくるとはいえ、それでも本当に行方知らずになる人も多くいるのは確かである。拉致されたり犯罪に巻き込まれたりする場合もあるが、何となく「自由になりたくて」突然行方をくらます人もかなりいるだろう。

 先日「千夜、一夜」という日本映画を市内のミニシアターで鑑賞した。30年前と2年前にそれぞれ行方不明になった夫を待ち続ける妻二人。拉致か犯罪か、それとも…年齢や環境が違う二人の女性を対比させながら、佐渡を舞台に周囲の人々との関係性も描きながら物語が展開する。

 おそらく私が20代か30代でこれを観たら退屈で全然興味が湧かなかったかもしれないが、それなりの経験を積んだ高齢者の視点で捉えるとさすがに映像が身に沁みた。

 例えば、30年前に夫が行方不明になってから妻(田中裕子が演じる)の時間は止まったままなのに、その妻に片想いして彼女と一緒になることを願いながら望みが叶わない近所に住む独身の漁師(ダンカンが演じる)にとっては焦るばかりの毎日、逆に無駄な時間が過ぎ去るばかりなのだ。

 もう一人の妻(尾野真千子が演じる)の夫は行方不明になってから2年後に偶然発見されるが、幸せな結婚生活だったのになぜ自ら行方不明になったのか自分でもうまく説明できない。再会後に夫婦仲は破局する。

 人間生活の虚しさや不条理やギャップが見事に描けてこの映画は傑作だと思う。

主役を演じた田中裕子をはじめ脇役陣の誰もが適材適所で、特に彼女に一方通行の恋慕を募らせる「ナサケナイ」初老の男を演じたダンカンが素晴らしかった。