恋愛とセックス

 若い頃は性欲が旺盛でセックスに興味津々、ところが片想いばかりでセックスができないギャップに悶々とする。ただ人生全般において、生きるためには食べなければならないが、セックスしなければ生きられないわけではない。セックスなんか全然しなくても人間はいくらでも生きられる。

 最近、「終の信託(2012年東宝 / 周防正行監督 / 草刈民代役所広司主演)」という映画を観た。喘息の病で余命いくばくもない役所広司と、専門医で彼を最期まで診つづける草刈民代の物語。じつは、草刈民代は同僚で自分よりも若い浅野忠信と肉体関係にあり、草刈は真剣な気持を抱いているが、浅野の方は遊び半分。

 そんな浅野に裏切られ、草刈は自殺未遂を起こすのだが、その後は患者の役所と以前よりも増して身近に接しようとする。映画の前半部分、草刈は自らの乳房を露にしてまで浅野とのセックスシーンを演じる。映画の中盤になると、草刈は患者の役所と正面から向き合い、なんとかこの患者を悔いなく死なせてあげようと試みる。そして終盤は、殺人が疑われる草刈と、罪を追求する検事大沢たかおとのやりとり。

 この作品を見終わった直後、物語の本筋ではない草刈と浅野のセックスシーンは必要なかったのでは? と一瞬思った。だがしかし、中盤の核となる医者草刈と患者役所との心の交流に重点を置いた各場面を思い返すと、やはり草刈と浅野のセックスシーンは必要だったのだと確信した。

 周防監督はこの作品で何を訴えたかったのかといえば、じつはひとつの恋愛の姿である。立場は同じでもセックスだけの空しい人間関係と、立場は異なっても人間同士における深い心の交流、この両者を対比させながら質の違いを訴えたかったのだ。「終の信託」で草刈と役所は医者と患者の関係で肉体の結びつきは一切ないが、お互いを信頼し合う対等な人間同士として男女の恋愛関係にまで昇華している。

 海辺で漂流木に腰かけながら、死を覚悟した役所が草刈に「僕は人生で一度も恋に溺れたことなんてなかった」とつぶやく。役所が演じる60過ぎの患者はこれまで恋愛とは無縁であったことが暗示されるが、重病になって最期が近づき、彼は医者の草刈と初めて本気で恋愛したわけである。

 恋愛とセックスはセットでないし、もちろんイコールでもない。本当に多様な恋愛が人間同士には成立する。「終の信託」もまた見事な恋愛映画だった。