現状を打破するために

 人を好きになるのはいいことだ。それはとてもいいことだ。好きになる感情も、何でも気軽に話し合える友情だったり、先輩や恩師に対する尊敬の念であったり、親子や兄弟姉妹の情愛であったり、人間同士の関係においていろいろある。だが、いま、ここで語りたいのは恋愛について。

 恋愛なんかしたくない、という人はまずいないだろう。辛い過去の思い出から、もう二度と恋愛はしないと決意しても、心の奥底ではもっともっと素敵な恋愛をしてみたいと憧れている。まさか、結婚したから恋愛は卒業した、なんて本気で思ったりはしないはず。

 独身であろうと、結婚していようと、若かろうと、年寄りであろうと、恋愛は恋愛なのだ。恋愛に形式はないし、年齢制限などあるはずがない。恋愛における人を好きになる感情は言葉で表すことなどできない。好きになってしまったものは、もうどうしょうもない。

 恋愛とは、たとえば他人同士の男女が偶然に出会い、意気投合し、デートを重ね、やがて一心同体となり深い関係に進展すること……もしこんなイメージに支配されているなら、なんて狭い恋愛観だろう。恋愛がそんな窮屈な世界に閉ざされたものであるはずがない。恋愛は、もっと多様で、もっと広々として、もっと奥深くて、そしてもっとも切ない。

 だれかを好きになるが、一方的に恋い焦がれたまま、片想いのまま終ってしまう。これも立派な恋愛だ。どんな恋愛も、まずは片想いから始まるのだから。おそらく、実らぬ恋の方が圧倒的に多いだろう。だからこそ、文学や映画など恋愛物の傑作には、二人が幸せになるより悲恋や別離を描いたものの方が多い。いや、悲恋や別離を描いたものばかりじゃないか。

 イヤな時代になってきた。管理され、監視され、生活に追われ、食べることで精一杯。今日をどうして生きようか、切羽詰まり汲々として余裕が持てない。このままでは見えない鎖にがんじがらめにされ身動きできなくなるかもしれない。

 救いは恋愛だ。人を好きになることだ。刑務所のような社会を解放するのは、政治や哲学より恋愛をする人間同士だ。