ちょっとした違い

 かなり昔、「若いという字は、苦しい字に似てる…」という詞の歌があった。その歌が流行したとき私は、確かに「若」と「苦」は似ているなぁ、若いときは青春を謳歌しつつ輝かしい時代でもある反面、辛いことや悲しいことにまみれ苦しいことの方がむしろ多いかも、と歌を聴きつつ納得したことを覚えている。

 形は似ているが意味が違う漢字はいくつもあり、「人」と「入」、「老」と「考」、「綱」と「網」など挙げだしたらきりがない。「辛」と「幸」など、横棒が一本あるなしだけで意味が正反対になるが、しかし実際、「つらい」ことと「しあわせ」なことの違いは、じつはほんのちょっとのことだけかもしれない。

 似た漢字を間違えるエピソードなら、映画「青い山脈(1949年制作/今井正監督/原節子、池辺良主演)のワンシーンを思い出す。ラブレターで「恋しい恋しい私の恋人」と書いたつもりが「変しい変しい私の変人」となってしまったのだ。それにしても「恋」と「変」が似ているとはいえ、もし実際にこれが起きたら、第三者は腹を抱えて笑えても、当人は自殺したくなる心境に陥るだろう。この違いは天国と地獄ほど開きがある。

 だから、ラブレターは自分の一方的な感情に浸ったままの状態で投函しないこと。書き終えたらちょっと間を置き、落ち着いてチェックしてみよう。現代のラブレターは手紙よりメールが主流なので恋が変になることはないだろうが、「鯉」や「濃い」や「乞い」など勝手に変換されてしまうので十分注意が必要だ。

 でも、冷静に考えれば、「恋」と「変」にそれほど大きな違いはないのかもしれない。どんな人も恋をすれば盲目となり、気持ちが多少変になるのだから。「恋しい恋しい私の恋人」が「変しい変しい私の変人」となっても、それは決して完全なる間違いではないのだ。「恋する」ことは「変する」こと。もっともっと変しようか。