恋と革命のために生きる

 「人間は、恋と革命のために生きる」とは、確か太宰治の言葉じゃなかったかな。こんな言葉は軽々しく口にできないが、しかし「人間は何のために生きるか」をとことん突き詰めるなら、「恋と革命」はまことに正しい答えだと思う。

 男は女を、女は男を、なぜ求めるかといえば、ひとり一人の個人は人間として半分の存在に過ぎず、自分の片割れを探し求め、自分に合致した相手と身も心も一体となることで初めて人間として完成するからだ。これは以前、ギリシャかローマの昔話として聞いたことがあり、そのとき私は大いに納得した。異性でも同性でもかまわない、ともかくひとり一人は自分の相方を探し求めさまよう。

 一方、男も女も、だれでも同じだが、自らの意思で生まれてきたわけではなく、この世に放り出され、その後も育てられることで、当然のごとく周囲の環境からまずは洗脳されるのが自分という存在である。洗脳されて操られる人生。これでは人として真っ当に生きることはできず、操り人形の状態である。だからこそ自ら生きるため、洗脳の糸を断ち切らねばならない。

 「自分の相方を見つけ好きになり、合体したいという気持ち」が恋、すなわち恋愛であり、「洗脳された自分を捨て、新たな自分に生まれ変わる」ことが自己変革、すわわち革命への第一歩となる。

 好きになった人と一緒になっても、やがて嫌になり別れたがるのは、おそらく相手が自分にとって本当の片割れではなかったからだ。結婚は、男女がお互い真の人間になるための本質とはまったく関係なく、それは単なる形式に過ぎない。

 革命の基本は自己変革だが、しかし大勢の人々が自由・平等を分かち合うため、自己変革から社会変革へと進展してこそ価値は膨らむ。だから、変革は持続させることがなにより重要。それは、自分を従わせ操ろうとする力ある者からの糸を自ら絶ちつづけることであり、自分が力を得て誰かを従わせ操ることではない。

 恋愛しても革命のできない人、革命ができても恋愛に縁のない人、世の中にはいろいろいるだろう。恋愛も革命もできる人は、つくづく幸せな人だと思う。