激動の中で

 寒かった朝の時間帯もかなり暖かく感じるようになり、エアコンの稼働率がだんだん落ちてきた。一方、せっかく温暖になったのに、花粉だけでなく黄砂も飛散するやっかいな時期を迎え、青空の下、のんびり散歩したくても、外出をためらなければならないとしたらとても残念だ。

 私の周辺で最近、閉店、廃刊、廃校…それらの言葉を見たり聞いたりすることが多い。時代が変貌する最中、人口構成や経済状況が大きく変化し、それら影響下での一連の動きとはいえ、やはり寂しい。

 植物は、茎と葉を育み、花を咲かせ、やがて散り行く。それを繰り返すように、人間社会も新たに育つ部分がある一方で、古いものはどんどん廃れて行く、現状を維持するだけでも大変だ。激動の時代、自己の根を足元にしっかり張りつつ、しぶとく生きたい。

 ところで、イチロー国民栄誉賞を辞退、とのニュースが飛び込んで来た。辞退したことを私は支持する。辞退の詳しい理由を知らないし、日本よりも米国に拠点を置く身として拒否しやすかったのかもしれないが、それにしても、こんなデタラメな賞、受賞させられる方が迷惑というもの。

 国民栄誉賞なんて、その場の雰囲気を読み取り、時の政権の人気取りのために利用されるだけの賞で、スポーツ選手と芸能人ばかり受賞してるのも気に食わない。百歩譲っても、日本が生んだ国際的大俳優の三船敏郎が受賞してないこと自体そもそも変だ。

 星の数ほどあるナントカ賞だが、そのほとんどがくだらない賞で、人間が人間を選別すること自体がナンセンスというもの。ノーベル賞を始め、数々の賞について以前にも記事を書き、今回も似たような中身になってしまったが、どうしても書かずにはいられなくなる。

 賞など受け取らないことが現在では名誉に違いなく、賞を欲しがるような人間に成り下がりたくない、とつくづく思う。賞とは一切無縁、そんな生き方こそが、時代に流されず、しっかりと根を張った生き方であることは間違いないだろう。