問題の本質はやはり人間

 コンピュータが日々進歩し、インターネットが全盛になっても、それらIT技術とはまったく無縁な人々が高齢者を中心にまだまだ多い。一方、20代の若い世代は生まれたときからコンピュータやインターネットの世界に囲まれた環境の中で育ってきている。

 同じ人間でも世代の違いによるギャップがあまりに大きく、同時代を生きながら、先端技術を駆使する世代と、先端技術にまったく疎い世代とが混在する。こんな社会は、歴史上かつてなかったかもしれない。

 しかし、時間の流れは止まらない。後50年〜60年ほど経過すれば、生まれたときからコンピュータやインターネットと共に生活を営む人間で世界中が埋め尽くされる。そんな時代を迎えたとき、これまでとはまったく違う社会が実現するのだろうか。

 コンピュータやインターネットが想像できなかった時代から、それらが日々の生活においてあたり前のようになった時代とでは、人間の意識がガラリと変わる可能性がある。それは例えば、外国が遠い彼方にあるというイメージから、瞬時にして情報が地球を駆け巡る今日において外国が異国であるというイメージは払拭される。そんな現実において意識が変わらない方がおかしいだろう。

 しかし……。確かにIT技術の進歩により人間の意識は大きく変わるだろうが、根本において人間は決して変われない存在であることを無視するわけにはいかない。

 つい「生まれたときから」と書いてしまうが、実際は「生み落とされたときから」である。人間は、どんな人間もこの世に自ら誕生してきたのではない。人間に限らず生物は全て同じだ。機械文明が際限なく発達し、どんな時代を迎えようと、しかし人間は自ら誕生できない。この否定しようのない事実はとてつもなく重要である。

 思うに、この否定しようのない「自ら誕生できない人間」という事実について、これまでの人間の歴史はあまり考察してこなかったのではないだろうか。考察してきたかもしれないが、考察の深さがまだまだ足りないではないだろうか。

 めまぐるしく世界は変貌するが、様相の変化が問題なのではない。生み落とされた人間はどんな時代であっても一気に染められ操られる。そんな根本的に変わりようのない人間の存在にこそ問題の本質が秘められているのだ。